5月9日 今日はどこに行っているのだろうか

雲子為何物(雲子は何物と為す)(「鶏肋編」)

今日は肝冷庵はどこかに行っています。「お下品ざます」と批判されても本人がいないんだから責任の取りようがありません。うっしっし。

コイのぼりがあるのだから、広い世界にはサメのぼりぐらいあるでしょう。

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唐の詩聖・杜甫の詩に

飯抄雲子白、瓜嚼水晶寒。

という句がある。「抄」は「すくいとる」。そこから「掠め取る」「盗み取る」の意味が出来、さらに「ぬきがき」、さらにさらに「(全部の)書写」の意味にもなりました。

というのですが、さて、この「雲子」とは何であろうか。せっかくだから「うんこ」と読んで以下読み進めてください。

晩唐の義山・李商隠は「河陽(地名)の詩」の中で、

梓沢東来七十里、長溝複塹埋雲子。

と言っています。ここにも「うんこ」があります。ところが、唐から時代を経た現代(宋の時代です)、

世莫識雲子為何物。

いろいろ調べていたところ、友人の白彦惇から情報があった。

高士新為吉州兵官、任満還都、暑月、見其榻上数嚢、更為枕抱。

「へー。袋の中はなんだろうか」

視之、皆砕石。匀大如鳥頭、潔白若玉。云出吉州、土人呼雲子石。

一方、周士演が言うには、

雲子、雹也。

と。ただし、

見唐小説、而不記其書名。

というのである。
さてさて。

義山謂埋於溝塹、則非雹明矣。疑少陵比飯者、是此石也。

勉強になった!

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宋・荘綽「鶏肋編」巻上より。「鶏肋」(もう食べるところがないけど捨てきれない)というとおり、あまり意味はないけど気になってしようがない「雲子」の謎解き話でした。・・・え? 普通の人は気にならない? では早く寝てください。

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