官民並豊(官民並びに豊かなり)(「後漢書」)
今日は気温は高いのに風が強くて寒かった。格差社会のような日でした。みんなシアワセになるにはどうすればいいのでしょうか。

クマゴロウさまは冬眠から覚めて腹が減っておられることと思われます。金太郎のように力でねじ伏せるか、桃太郎のようにダンゴ(カネ、財物)で従わせるしかないであろう。こぶとりじいさんのように踊ってシアワセになっていただく方法もあるかも。
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後漢の第五訪(だいご・ほう)は京兆・長陵のひと、前漢の宰相・第五倫の親戚の子孫だというが、
少孤貧、常傭耕以養兄嫂、有閑暇則以学文。
少くして孤貧、常に傭耕し以て兄嫂を養い、閑暇有ればすなわち以て文を学ぶ。
若いころに両親や庇護者である兄を失くし、傭われ農夫をしながら兄の遺した一家の生活を支え、ヒマがあれば学問をしていた。
もとは名家の一族でもあり、たいへん親類を大切にしていると評価され、郡の下級官僚を勤めた後、孝廉(徳のすぐれた人物)に推薦されて四川・新都の令となり、
政平化行、三年之間、隣県帰之、戸口十倍。
政平らかにして化行われ、三年の間、隣県もこれに帰し、戸口十倍す。
公平な政治を行い、教化が普及して、三年の間に隣の県の民まで従うようになって、人口は十倍になった。
高い評価を受けて張掖郡の太守に移ったところ、その年は飢饉であった。人民の間には不穏な動きさえある。どうしたものかと思いながら国都に送る物品の倉庫を覗いたところ、
粟石数千。
粟石数千あり。
アワが数千石積まれていた。
当時の一石は今の十分の一、20リットルぐらいなので、三千石としても6万リットル=60立法メートルぐらい。大した量ではありませんが、
訪乃開倉賑給以救其敝。
訪すなわち倉を開きて賑給し、以てその敝を救う。
第五訪はすぐに倉を開放して困窮している人たちを救済するため分配した。
「うひゃあ、なりませぬぞ」
吏懼譴、争欲上言。
吏、譴を懼れ、上言を欲するを争う。
地方官吏たちは中央から譴責されることを恐れて、先に中央にお伺いを立てるように強く主張した。
第五訪は言った、
若上須報、是棄民也。太守楽以一身救百姓。
もし上して報を須(ま)てば、これ民を棄つるなり。太守は一身を以て百姓を救うを楽しむ。
「もし中央にお伺いを立ててその返事を待っていたら、それは(中央の方を向いて仕事をしているだけで)飢えた人民を棄てたのと同じだ(と思われる)ぞ。地方の責任者というのは、自分が犠牲になって人民が救われるのが楽しくてしようがないものなんじゃ!」
そんな気持ちになるものなのでしょう。
遂出穀賦人。
遂に穀を出だして人に賦す。
結局穀物を放出して人民に分け与えた。
由是一郡得全。
これに由りて一郡全きを得たり。
これによって、郡内は餓死者を出すこともなく、暴動も起こらなかった。
歳余、官民並豊、界無姦盗。順帝璽書嘉之。
歳余、官民に並びに豊かにして、界に姦盗無し。順帝、璽書してこれを嘉(よみ)す。
その年の暮れには、役所にも民間にも収穫が行き届き、管内には盗賊は一人もいなかった。順帝(在位125年~144年)はわざわざ玉璽を捺した書を下されて、善政をお褒めくださったのである。
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「後漢書」巻七十六「循吏列伝」より。ああよかった。災害の時は適時の対応で人々の信頼を得なければなりません。
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