5月2日 昼間は暑いと思っていましたが

皆疑其是(みなそのこれならんと疑う)(「鶏肋編」)

気づいた時にはもう遅いことが多いものです。しかしだから対処しなくてはいい、とはならないので、なんとかしなくては。これ(氷河期世代対策)もこれ(官僚主導手法の改革)も

新茶おいしいよ。忘れずに飲んでみよう。

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八仙の一人、呂洞賓について、宋の時代にはおじいさんだった、と書いたのですが、「いや、もっとかっこよかった」という人もいました。
北宋の末期は新法党と旧法党の激しい党争が有名ですが、その新法党の領袖の一人、呂恵卿は、

自負高才、久排擯在外。

王安石の後で新法党の実権を握り、旧法党に加えて王安石まで排斥しはじめたので、一度宰相に戻った王安石が差し違えの形で地方に出してしまった、というような人です。それまでなお「政策論争」の色合いのあった新旧両法党の争いを、彼が相手の政治生命(時に実際の生命も)を奪う「権力闘争」に換えてしまったといわれ、敵からも味方からも憎まれていました。

徽宗の大観年間(1107~10)になって、

始召至京師、為太一宮使。時年八十歳矣。視宰輔貴臣皆晩進出己下者、意気頗自得。

「意気軒高」というより「えらそうにしていた」と訳した方がいいかも知れません。

一日、延見衆客、有道士亦在其閒、自称宗人、礼数簡易。

呂大臣はその態度にむっとした。

因問其所能、曰能詩。呂顧空中紙鳶、即使賦詩。

道士はその声に応じるように、詩を口ずさんだ。

因風相激在雲端、擾擾児童仰面看。莫為糸多便高放、也防風緊却収難。

「こんなもので如何でしょうかな」

呂知其譏己、有慚色、方顧他客。

ふと、
(待て。この道士はわしの親類だと言ってたぞ。わしを批判しているのではなく、反省するように言ってくれているのでは?)
と思いなおしましたが、その時には

已失所在。

呂恵卿の一族なら「呂某」?

其風骨如世之画呂洞賓。人皆疑其是也。

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宋・荘綽「鶏肋編」巻下より。呂恵卿のことですから、
「呂洞賓もわしの人脈でえらくなったのじゃ」
ぐらいの不遜なことを言ったかも。
不遜といえば、昭和100年式典、天皇陛下の御発言がなかったのは内閣の希望による、と宮内庁が明らかにした、併せて天皇陛下の「お気持ち」を公表した、とXで話題になっているのですが、これは本当なのでしょうか。大マスコミのニュースソースが付かないんです。ネットのみぎのほうが騒然としていますが、ほんとにこんなお叱りを受けたら田中義一さんみたいになっちゃうので、そんなお叱りはなさらないと思うのですが如何に。

再掲

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