盗亦有道(盗にもまた道有り)(「荘子」)
居眠りしながら考えてみます。盗人にも「道」はあるのであろうか。

寝てて遅刻する。明日はこうなるであろうと予知される。
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孔子をも退けたという春秋時代の伝説的大盗賊・盗跖(とうせき)さまの根城にて、子分(「跖之徒」)が親分の盗跖に訊ねやんした。
盗亦有道乎。
盗にもまた道有るか。
「へへへ、親分、おれたち盗賊の世界にも、「道」(聖人の定めた守るべき規範)というのは適用されるものなんでございやしょうか」
盗跖は答えた、
何適而無有道邪。
何ぞ適(ゆ)くとして道有ること無からんや。
「どんなことにでも、「道」が適用されないものは、無い」
そして、言った、
夫妄意室中之蔵、聖也。
入先、勇也。
出後、義也。
知可否、知也。
分均、仁也。
それ、妄りに室中の蔵せるを意(おも)うは、聖なり。入るに先んずるは、勇なり。出づるに後るるは、義なり。可否を知るは、知なり。分くること均しきは、仁なり。
「つまり、
この家の中にはどんなものがあるだろうかと思量するのは、神聖な心だ。
まず先陣を切って入るのが、勇気だ。
しんがりを務めて最後に出てくるのは、義侠だ。
うまくいくかどうか、事前に予測するのは、知恵だ。
分け前を公平に分けるのが、仁徳だ。
五者不備而能成大盗者、天下未之有也。
五者備わらずして能く大盗と成れる者は、天下いまだこれ有らざるなり。
この五つが無いのに、「大盗賊」となった人は、世界中に一人もいないのだぜ」
というのが盗跖さまの言葉。古来この五者は、「盗跖五徳」と言い習わされています。
以下は、論者の言葉である。
繇是観之、善人不得聖人之道不立、跖不得聖人之道不行。
是に繇(よ)りてこれを観るに、善人は聖人の道を得ざれば立たず、跖は聖人の道を得ざれば行われず。
このお話からわかることは、いい人はもちろん聖人の道に依らなければ立場を固めることができないが、大盗賊の跖も聖人の道に依らなければ仕事ができない、ということだ。
つまり聖人の道である「聖、勇、義、知、仁」が無ければ、善も悪もできないことが明らかになる。
そこで、考えてみてください。
天下之善人少而不善人多、則聖人之利天下也少而害天下也多。
天下の善人少なくして不善の人多ければ、すなわち聖人の天下を利するや少なくして天下を害することや多きなり。
世界には善き人は少なく、不善の人の方が多いではありませんか。ということは、聖人が依るべき道を教えてくれると、世界の利益になることは少なく、世界の害悪になることの方が多いということになります。
故曰、唇竭而歯寒、魯酒薄而邯鄲囲、聖人生而大盗起。
故に曰く、「唇竭(つ)きて歯寒く、魯酒薄くして邯鄲囲まれ、聖人生じて大盗起こる」と。
というわけで、こんなふうに言われることになります。
「唇が破れると歯が寒くなる」→同盟者を裏切ってその領地を敵と半分こすると、次は自分が前線に立たされる。
「魯のお酒が薄いと趙の都・邯鄲が囲まれる」→楚王が諸侯を招集したとき、魯公は遅刻した上、薄い酒を献上した。このため楚王が怒って魯を攻めた。もともと魏は趙と仲が悪かったが、魯が趙に味方しているので手が出せないでいた。魯が攻められて身動きできないので、「これはチャンス」と趙を攻めた。
「聖人が「道」を教えるから、大盗賊が生まれた」→上記で述べられているとおり。
いずれも、表面化しているかしていないかは別として、物事には因果関係があるものだ、ということです。結果を避けるためには原因を除かなければならない。つまりは、
掊撃聖人、縦舎盗賊、而天下始治矣。
聖人を掊撃(ほうげき)し、盗賊を縦舎して、天下始めて治まる。
「掊」(ほう)は「かき集める」「取る」の意ですが、「掊撃」と熟すと「攻撃する」、「縦舎」(しょうしゃ)は「やりたいようにして捨ておく」。
聖人をぶん殴って倒し、盗賊はそのまま放っておいて、それで天下は始めて治まるのだ。
聖人がいなくなれば盗賊もおのずといなくなるので、盗賊に手をつける必要はない。
夫川竭而谷虚、丘夷而淵実。聖人已死則大盗不起、天下平而無故矣。
それ、川竭きて谷虚となり、丘夷(たいら)かにして淵実(みた)さる。聖人すでに死すれば大盗起こらず、天下平らかにして故無からん。
さてさて、川が涸れてしまえば谷の水も干上がるもの。丘が削平されれば淵は埋め立てられているであろう。聖人が死んでしまえば大盗賊は力を失い、天下は平穏になって、めんどうなことは無くなってしまうのだ。
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「荘子」胠篋篇より。すばらしい「寓言」ですよね。みんな立ち止まって、この「寓言」について考えてくれると、世の中少しは暮らしやすくなるのでは。「盗みの道」のところを「経済学」「政治学」「科学技術」「経営学」などいろいろ書き換えてみたらどうなるか・・・と思っていると、あれ? 普段は耳を貸さない立派な方々がやってきて、なぜだかしきりにメモを取っているぞ。
ああ、他人の物はもちろん、人類の共有財産や地球の資源・環境などを「盗む」ことを生業にしておられる人たちだ。テレビにも出てるぞ。その人たちの「盗跖五徳」を書き写すことの、なんと熱心なことであろうか。
これは「〇〇三徳」みたいなことにはなりませんかね。「はい」は「仁」、「イエス」は「知」(不知かも)、「喜んで」は「勇」です。蛮勇ですね。
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