6月5日 飯も教えもいただいてきたのである

為酒饌饗(酒饌の饗を為す)(「鶴林玉露」)

飯と教えでは、特に飯が重要です。今日は有名な学者さんに昼飯ごちそうになりました。わしは食い物の恩義は案外忘れません。すべてを覚えているわけではありませんが。

いつもにゃわばり争いのおれたちも、外の世界に対しては結束するにゃぜ。人間は?

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南宋の淳煕年間(1174~89)のことだが、江西・盧陵に悪少子(半グレ)の晏先という男がいた。

以殺人減等流嶺南。行有日、逢其党二人于市、晏目之曰、蓋免我乎。

二人は目を伏せて、

不応而去。

「やばくなったら知らぬふりかよ・・・」

枷をつけられ、護送されて、数日ほど行くと、

送徒者節其飲食、有害之之意。

「くそ・・・」

さすがに晏先も覚悟するしかなかった。

一夕、止旅舎、二人者忽来。為酒饌饗晏及送徒者、尽夕歌呼、至暁偕行。

やがて、

過荒林間、二人以白金一笏擲于地、抽刃言。

晏、吾兄弟也。汝能釈使逃、請以此金為謝。不然、不能倶生矣。

二人は、市場で何らかの受け答えをしたら何かを企んでいると疑われるのを恐れて、わざとその場では答えなかったのだ。

送徒者欣然破械縦去。

「ただし、江西に戻って来られちゃあ、困りますぜ」

そして、

為疑冢道傍而反。

「あいつはここに埋められてる、って寸法さ」
おそらく被害者の家に、晏を虐待して死なせたと報告して、そちらからも報酬を取るのであろう。

疑冢を作るなど、意外と計画的です。もしかしたらマニュアルがあったのかも知れません。

さて、それから

越三十年。

ということは1210年ごろでしょうか。

晏自淮駕巨艦来帰、資貨巨万。

そして、

訪二人、皆死矣。妻子方貧、不能自活。晏哭祭其墓、尽哀、厚遺其妻子、乃去。

みなさんは、こんな歌をご存じですか。

高論唐虞儒者事、売君負国豈勝言。

そんな中で、

凭君莫笑金椎陋、却是屠沽解報恩。

この詩は任侠者たちの義の篤さを歌っているのだが、

諒哉。

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宋・羅大経「鶴林玉露」乙編巻六より。「鉄の椎」とか「肉や酒を売る者」とか何を言っているのかね?と儒者のおえら方は言うかも知れません。これは、「史記」信陵君列伝第十七によります。

戦国の四君子の一人・魏の信陵君が、秦に攻められた趙を信義のために救うべく、魏の兵権を奪おうとした。この際、信陵君の所持した虎牌(王から兵権を与えられたことを示す)に疑いを示して軍権を譲ろうとしなかった将軍の晋鄙を、つき従っていた侠客の朱亥が、

袖四十斤鉄椎、椎殺。

当時の一斤は250グラム強。

という。

この朱亥は、何度も信陵君から礼物などをもらっていたのに、一度も謝礼をしなかった。しかし、信陵君がいよいよ立場窮まって行動に移ることになったとき、

臣乃市井鼓刀屠者。而公子親数存之。所以不報謝者、以為小礼無所用。

今公子有急、此乃臣効命之秋也。

と言って、信陵君と行動をともにしたのである。

肝冷斎などが道で挨拶しなかった、あいつはメシ食わせてやったのにお礼も言わん、何で年賀状出さない、などとご批判の方もおられるかも知れませんが、もしかしたら「小礼、用いるところなし!」と考えているのかも知れませんよ。
あるいは肝冷斎のふところに、四十斤の鉄椎が隠されていないと、誰が言えようか。

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