衆人平原(衆人は平原なり)(「明語林」)
でも、みんなと一緒ならいいですよね。

こいつには、野心はあるのか、無いのか。
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明の永楽帝の時、北元の宰相アルクタイ(阿魯台)が服属を求めてきた。
すでに、
収女真、吐蕃諸部、聴其約束、請制于朝、将盟諸部長。
女真・吐蕃諸部を収めて、その約束して朝に制を請い、まさに諸部の長と盟せんとするを聴(ゆる)さしむ。
ジョルチンやチベットの諸部族を配下に収め、さらに、彼らからは、自らを諸部族の同盟の長とするよう、明朝から命令を下してもらうことを請求してもよい、という承諾を得ていたのである。
「さてどうするかな」
永楽帝が臣下に諮問すると、
咸請許之。
みな、これを許さんことを請う。
臣下たちはみな、その請求どおりにするよう上申した。
それで北元との間のドロ沼のような争いに終止符が打てる、あるいは小休止できるのなら、お安いものだというのである。
「うーん、どうかな」
すると、黄淮(こうわい)が進み出て言った。
夷人狼子野心、使各自為長、則力易制、若并為一、後且難図。
夷人は狼子野心なり、各自に長為らしむれば則ち力制し易きも、もし并せて一為らしめば、後まさに図り難し。
「えびすは、狼の子のように野の心がありますぞ! やつらはそれぞれにリーダーにさせておけば、こちらからはたいへん制御しやすい。しかし、もし一つにまとまらせてしまうと、後あとずいぶん困ることになってしまいましょう」
「狼子野心」というコトバが出てまいりました。
「春秋左氏伝」宣公四年(前606)条によると、楚の司馬子良のところに子ども(子越)が出来たんですが、祖父の子文はその子を見るなり、言った。
必殺之。是子也熊虎之状面、豺狼之声、弗殺必滅若敖氏矣。
必ずこれを殺せ。この子や、熊虎の状面、豺狼の声、殺さざれば必ず若敖(じゃくごう)氏を滅ぼさん。
「絶対こいつは殺しておけ。この子は、顔はまるでクマやトラ、声はまるでヤマイヌやオオカミのようじゃ。殺しておかないと(とんでもないことを仕出かして)、必ず我が名門・若敖氏の家を滅ぼしてしまうぞ」
「はあ」
諺曰、狼子野心。是乃狼也。是可畜乎。
諺に曰く、「狼子に野心あり」と。これすなわち狼なり。これ畜(やしな)うべけんや。
「世間でいうではないか、「オオカミの子には野の心がある」と。この子はオオカミだ。こんやつを養育することはできん!」
狼の子には野の心がある。
―――イヌのようにかわいがって育てても、隙を見せれば野性が戻って、襲いかかってくるであろう。
なお、この条が、「野心」、ボーイズBアンビシャス、の「野心」の語源でもあります。
・・・というのが「狼子野心」です。結局殺されずに養育された司馬子越はどんな大人になったでしょうか、というのはまたのお話とさせていただきまして、永楽帝に戻りましょう。
上顧左右曰。
上、左右を顧みて曰う。
皇帝は、左右をかえりみて、おっしゃった。
淮如立高岡、無遠勿見、衆人平原耳。
淮、高岡に立つが如く、遠くして見ゆる勿(な)きこと無し。衆人は平原のみ。
「黄淮のやつは、高い岡の上に立っているようじゃな。遠いところまで、見えないものは無い。それに比べて、おまえたちはみな、平原に突っ立っておるだけのようだ」
重臣たちは平伏してコトバも無かった。
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清・呉粛公「明語林」巻五・識鑑より。黄淮くんはすごいなあ、みんなが近視眼的にしか見ていない時に遠いところを見通していたとは。みなさんも見ならおう。・・・と、朝礼では言わないといけませんが、実際のところは、永楽帝は北元との戦いを止めることができないんです。彼は、甥に当たる建文帝を弑殺し、その臣下たちを無数にぶっ殺して帝位に着きましたが、「自分なら北元に勝つことができる」ことがその行為のほぼ唯一の大義名分だったので、北元と平和になってしまうと立場上困る、というのがホンネなんです。
みなさんレベル(わたくしも含む)のような野心の無い者が、他の人もできないことを自分だけできるはずがないではありませんか、だからあまり無理はせずにね・・・というのが朝礼のホンネでしょうね。