9月3日 野心無き者は去る・・・かも。

衆人平原(衆人は平原なり)(「明語林」)

でも、みんなと一緒ならいいですよね。

こいつには、野心はあるのか、無いのか。

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明の永楽帝の時、北元の宰相アルクタイ(阿魯台)が服属を求めてきた。

すでに、

収女真、吐蕃諸部、聴其約束、請制于朝、将盟諸部長。

「さてどうするかな」

永楽帝が臣下に諮問すると、

咸請許之。

それで北元との間のドロ沼のような争いに終止符が打てる、あるいは小休止できるのなら、お安いものだというのである。

「うーん、どうかな」

すると、黄淮(こうわい)が進み出て言った。

夷人狼子野心、使各自為長、則力易制、若并為一、後且難図。

「狼子野心」というコトバが出てまいりました。

「春秋左氏伝」宣公四年(前606)条によると、楚の司馬子良のところに子ども(子越)が出来たんですが、祖父の子文はその子を見るなり、言った。

必殺之。是子也熊虎之状面、豺狼之声、弗殺必滅若敖氏矣。

「はあ」

諺曰、狼子野心。是乃狼也。是可畜乎。

なお、この条が、「野心」、ボーイズBアンビシャス、の「野心」の語源でもあります。

・・・というのが「狼子野心」です。結局殺されずに養育された司馬子越はどんな大人になったでしょうか、というのはまたのお話とさせていただきまして、永楽帝に戻りましょう。

上顧左右曰。

淮如立高岡、無遠勿見、衆人平原耳。

重臣たちは平伏してコトバも無かった。

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清・呉粛公「明語林」巻五・識鑑より。黄淮くんはすごいなあ、みんなが近視眼的にしか見ていない時に遠いところを見通していたとは。みなさんも見ならおう。・・・と、朝礼では言わないといけませんが、実際のところは、永楽帝は北元との戦いを止めることができないんです。彼は、甥に当たる建文帝を弑殺し、その臣下たちを無数にぶっ殺して帝位に着きましたが、「自分なら北元に勝つことができる」ことがその行為のほぼ唯一の大義名分だったので、北元と平和になってしまうと立場上困る、というのがホンネなんです。

みなさんレベル(わたくしも含む)のような野心の無い者が、他の人もできないことを自分だけできるはずがないではありませんか、だからあまり無理はせずにね・・・というのが朝礼のホンネでしょうね。

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