9月2日 もう今度こそは何とかしますかも

日日欲止之(日々にこれを止めんと欲す)(「陶淵明集」)

「酒」を「炭水化物の過剰な摂取」と読み替えてください。

たくさん食べるぞーい!・・・その分出せればいいのですが、ホワイトホールは仮説のままです。

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居止次城邑、逍遥自閒止。

坐止高蔭下、歩止蓽門裏。

自分の家の田園の見回りで一日が過ぎていく。

好味止園葵、大懽止稚子。

「葵」は「冬葵」という草花のことで、葉っぱが食用になる。我が国にも移入されたのですが、どうも我が国びとの嗜好に合わなかったようで、今では栽培種とはなっておりません(野草として存在している)。

ここまで「止」(し)という字が毎句ごとにいろんな意味で使われています。このあとはどうかな?

平生不止酒、止酒情無喜。

暮止不安寝、晨止不能起。

一日中、止められる時が無かったのだ。

しかし、止めなければならないと思ってきたのである。

日日欲止之、営衛不止理。

「営衛」というのは当時の医学用語で、「脈の営み」を指すそうです。

徒知止不楽、未知止利己。

しかし、ついに――――

始覚止為善、今朝真止矣。

従此一止去、将止扶桑涘。

「扶桑」は東の海上にあるという仙界の一つ。我が列島を指すこともあります。

お酒が神仙になることを妨げるという考えがあった(竹林七賢の一人・嵆康など)のを踏まえているようですが、その考えを信用しているならもっと早く止めているはずで、おそらく信用していない。

清顔止宿容、奚止千万祀。

「祀」(し)は、収穫の祭のことで、一年に一回行われることから「年」の意味です。・・・実は「年」も「稔」のことなので、一年に一回の「年」があるから「一年」の意味になるんですが、何言ってるかわからなくなってきますね。

神仙思想を笑い物にしているのです。わっはっはー。

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晋・陶淵明「止酒」(酒を止む)。しかし、うそでしたー。

全句に「止」が使われていることから、「おふざけ」であることが判明します。本人の「酒」もわたくしの「炭水化物過剰摂取」もです。(>_<)

昨日・今日は二試合連続味噌ラーメン、朝のパン食べ放題など、もうめちゃくちゃ。

これがさっきの戦果。炭水化物というより寒冷斎よ、バターが。

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