令和5年9月調査報告(小樽)

厳しい観タマの合間を縫っての調査だ。

〇竜宮神社 ・・・ 榎本武揚が創建したそうです。榎本というと「喜八」を思い出してしまうのですが。

明治時代はこの神社から小樽の町が見渡せ、多数の船が見えたそうです。

境内の榎本像。左は魚籃観音。たくさんニシンコロしたから、魚籃さんに頼るのが一番ですよね。

〇小樽博物館 ・・・ 30数年前に来た、と思うのですが、展示には全く記憶がないので、来てないかも。当時はまだ「まずは資料館」という基本思想ではなかったかも知れません。

北前船関係展示。最近近江商人には頭に来るようになりました。荒ぶる資本主義はいいのですが、あちこちであれだけ手を汚しながら今では「いいもん」みたいな顔してるのが、ねえ・・・。

ニシン漁道具の数々。といっても女子どもも参加できる単純な工程でもあったんです。背負い駕籠に詰め込んでニシン小屋に運んで、生きているのを潰して殺して蒸して肥料する。

明治末期の小樽の町並み復元コーナーだ。石川啄木も小林多喜二もいたのだ。

手宮洞窟遺跡の原寸模型。線刻記号が刻まれていると大騒ぎになり、解読に挑戦したひともいます。5世紀ごろ、から16世紀までいろいろ説があったはず。市内近いところに資料館があるはずなので、次の機会には行ってみたいですね。しかし観タマがきついからなあ。

忍路土場(おしょろどば)遺跡の遺物と、忍路環状列石(ストーンサークル)の模型。ほかにも小樽周辺では数か所で環状列石が発掘されている。

〇市街地散策 ・・・ 今日はコスプレイヤーのみなさんがたくさん来ていました。

昭和62年まで稼働していた手宮線の跡地です。前回来たのがその数年後だと思うのですが、覚えてないなあ。

旧日銀小樽支店(現金融博物館)。

小樽は住民の運河保存運動が失敗し、市が推進した国道建設のためにそのほとんどが埋め立てられました。ごく一部残ったところも、片側は国道になっています・・・が、そこを利用して平成に入ってから地域おこしだということになって、今ではインバウンドを始め大観光地になってしまいました。どこかに二回大笑いしているやつがいるんでしょう。

キタキツネの親子でちゅ。なんのお話ちてるのかなー。え?オロカなるニンゲンへの憎しみ?

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