乱国若盛(乱国は盛んなるがごとし)(「淮南子」)
空港も駅も球場も人がたくさんいました。景気いい感じかも!ウソも百回言えばなんとかなる・・・かも。

大正好景気時代野球げいむだ。藩閥学園、改造中学、無産実業、対外工中から好きな学校を選びてぷれいしたまへ!
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むかしの人の言ってたことですが、
明鏡便於照形。其於以函食、不如簟。
明鏡は照形に便なり。その食(し)を函するを以てすれば、簟(たん)に如かず。
ぴかぴかの鏡は、人の容貌を写すのにたいへん便利である。しかし、食べ物を箱詰めにしようとする場合には、竹製の弁当箱には敵わない。・・・ア
当たり前やろ。
犠牛粋毛宜於廟牲。其於以致雨、不若黒戾。
犠牛の粋毛なるは廟牲に宜ろし。その以て雨を致すを以てすれば、黒戾に若かず。
「黒戾」(こくれい)は黒いヘビで、雨乞いの祭に捧げるものなのだそうです。
毛並みのいい犠牲のウシは、諸侯のご先祖さまを祀る廟堂でのいけにえとしてはたいへんよろしい。しかし、雨を呼ぼうとする場合には、黒いヘビをいけにえにするのに敵わない。・・・イ
うーん。これは非科学的なので、現代のすぐれた我々から見れば当たり前とは言い難いのですが、当時の人にとっては当たり前だったのでしょう。
由此観之、物無貴賤。因其所貴而貴之。物無不貴也。
これによりてこれを観れば、物には貴賤無し。その貴ぶところに因りてこれを貴ぶ。物に貴からざる無きなり。
これらの例から見るに、モノには貴いモノ・賤しいモノという区別は、無いのである。それが役に立つ場合には、その価値が高いので貴ばれるのだ。逆にいえば、モノには本来、貴くないモノなど無いのである。
イは例にならないのでは、と思いますが、このあと、他にもいくつか例が挙げられます(ここでは省略した)ので、まあだいたい正しいことが証明されます。
これを人間の社会的存在にも応用すれば、人はみな自分の得意とする仕事に就いている状態が、本人にとっても社会全体にとっても、効用が最大となる。
刑罰の得意な者は裁判を行い、治水が得意な者は黄河を治め、人格の立派な者は王となるのがいい。
水処者漁、山処者木、谷処者牧、陸処者農。
水に処(お)る者は漁り、山に処る者は木し、谷に処る者は牧し、陸に処る者は農す。
水辺にいるひとは漁業を行い、山間部にいる人は林業を行い、渓谷にいる人は牧畜を行い、平野部にいる人は農業をすればよい。
彼らの仕事と生活を保障するのが、最もすぐれた政治である。
そうすると、
乱国若盛、治国若虚、亡国若不足、存国若有余。
乱国は盛んなるがごとく、治国は虚ろなるがごとく、亡国は足らざるがごとく、存国は余り有るがごとし。
乱れた国は盛んなように見えます。
治まった国は空っぽのように見えます。
亡びゆこうとしている国はモノが足らないように見えます。
しっかりした国はモノが余っているように見えます。
それはこういうことです。
虚者非無人也。皆守其職也。盛者非多人也。皆邀於末也。有余者非多財也。欲節事寡也。不足非無貨也。民噪而費多也。
虚ろなるは人無きにあらざるなり。みなその職を守ればなり。
盛んなるは人多きにあらざるなり。みな末に邀(むか)えばなり。
余り有るは財多きにあらざるなり。欲節せられ事寡きなり。
足らざるは貨無きにあらざるなり。民噪ぎて費え多きなり。
(治まった国が)空っぽに見えるのは、人が少ないのではない。みなが自分のやるべきことを持っていてそれに従事しているから、余計なことをしていないのである。
(乱れた国が)盛んなように見えるのは、人が多いのではない。みなが自分のやるべきことを差し置いて、利益を得ることに向かっているからである。
(しっかりした国が)モノが余っているように見えるのは、資源が多いのではない。ひとびとが欲望を節制しているから、消費量が少ないからである。
(亡びゆこうとしている国が)モノが足らないように見えるのは、物資が無いのではない。ひとびとが大騒ぎして、物資がふさわしいところに届かないからである。
というわけで、
先王之法籍非所作也、其所因也。
先王の法籍は作るところに非ざるなり、その因るところなり。
(理想的な)古代の王さまたちの法令は、彼らが作ったものではないんです。すべてそのまた古代から、伝わってきたものだったのです。
やっぱり無為自然が最高・・・?
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漢・劉安「淮南子」斉俗訓より。経済とかよくわからないんですが、みなさんの国はどんな感じですか。