仁人之饋(仁人の饋(き)なり)(「孔子家語」)
腐りかけが一番美味い!

食べるとこあらへん。いや、まだ頭と骨がある。
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孔子が楚の国に行った時のこと、
有漁者而献魚焉。孔子不受。
漁者有りて魚を献ず。孔子受けず。
漁師がやってきて、魚を献上したいと言ってきた。孔子はお断りした。
すると、漁師は言いましたのじゃ。
天暑市遠、無所鬻也。思慮、棄之糞壌、不如献之君子。故敢以進焉。
天暑にして市遠く、鬻ぐところ無きなり。思い慮るに、これを糞壌に棄てんよりは、これを君子に献ずるに如かず、と。故にあえて以て進む。
「今日はお天気も暑く、遠い市まで持って行くことができないので、売るところがございません。このままではゴミ捨て場や泥の中に棄ててしまうしかありませんが、それよりは良き人に差し上げた方がよろしかろうと思い、嫌がられるかなあとは思いつつも、思い切って献上しに来たのです」
「おお、なんと、そうでありましたか」
以是、夫子再拝受之、使弟子掃地、将以享祭。
是を以て、夫子再拝してこれを受け、弟子(ていし)をして地を掃い、以て享祭せんとす。
これを聞くと、先生は(敬意を表する)「二度お辞儀」をして魚を頂戴し、弟子たちに命じて一定の土地を掃き清め、そこで「お礼の儀式」を行おうとした。
弟子たちが言った、
彼将棄之、而夫子以祭之。何也。
彼まさにこれを棄てんとするに、夫子は以てこれを祭る。何ぞや。
「あの人はこれを棄てようとしていたんですよ。(黙ってもらっておけばいいだけなのに、)それを聞いて先生はお礼の儀式を始めようとなさる。どういうことですか」
孔子はおっしゃった、
吾聞諸。惜其腐飪而欲以務施者、仁人之偶也。
吾、これを聞けり。その腐飪(ふじん)を惜しみて以て施に務めんと欲する者は、仁人の偶なり。
わたしはこう認識している。
―――腐りかけで熟してしまっているものがもったいないからと思って、何とか誰かにもらってもらおうとする者は、偉大な人たちの仲間である。
と。
「もの」がその意義を発揮できずに腐敗していくのは忍びないこと、何とかして「もの」に本来の価値どおりの役割を果たさせてやろうと躍起になるのは、偉大なことではないか。その「もの」が「人」である場合を考えてみれば、明らかなことだ。
そして、
悪有受仁人之饋、而無祭者乎。
いずくんぞ仁人の饋(き)を受けて、祭無き者有らんや。
偉大な人から贈り物をいただいて、お礼の儀式をしない者がどこにおるのか。
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「孔子家語」致思第八より。最近みんなが言ってるやつですよね。食品ロハだっけ。只より安いものはない。デフレになって崩壊だ。経済崩壊したらおまえらはムシでも食ってろ。わはははー・・・、とおえら方たちの笑い声が聞こえる。
ところが、わたしはムシ食にあんまり抵抗ないんです。毒と寄生虫は心配なので、科学的な分析が必要だが。
だいぶん前に死んだおやじが、戦後の腹の減った時の話をしてくれた時、「セミの幼虫だけは火を通しても食べたらあかん」と言ってました。同級生がそれで死んだ、とか言ってたけど本当か。実験の要あるかも。