観タマ記 令和5年5月4日 併5月調査報告1

令和5年5月4日(木)1400(1415)~1647 横濱スタジアム
セントラルリーグ 横濱DeNAベイスターズ対廣島東洋カープ
廣島 110 000 000    2
横濱 000 020 001X   3

主審 西本  一塁 長井  二塁 津川  三塁 有隅

カープ森下の復活登板で全体的によかったのですが、五回裏、先頭の桑原にホームラン、はいいのですが、その後二死とってから京田ヒット→盗塁→代打大和タイムリーで同点は、如何なものか。あんなに簡単に盗塁されるのはやっぱりバッテリーもう少しなんとかしないと・・・。
あとはホームランでしか点は取りそうにない試合になり、ベイスタも山崎・伊勢を温存して延長はイヤだったと思うのですが、カープ松本が宮崎にサヨナラホームランを食らって試合終了。

ベイスも元気ですが、ベイスファンがすごい元気になってますね。ハマスタうるさい。

交流戦終わってからでないと何とも言えないと思いますが、セリーグは今のところベイスが抜けてきた印象はあります。

昨日はポールとマウンドが重なるあたりにいましたが、今日はちょっとこっち。

しうまい弁当をガマンしてポケットしゅうまいだけだ・・・と思うと大間違い。今日は既に、都内でFHさんFNさんと昼飯を食ってきているのだ!

これは散開型未確認飛行物体・・ではありません。残念ながら確認できています。七回表、「勇者の遺伝子」なるエロ歌を歌い終わったところでスコアボード裏から打ち出された花火だ。

試合終了だ。日陰がそこまで迫ってきている。連休もあと三日に。

本日は時間もあり、このまま家に帰るのも寂しいので、ハマスタから海で無い方向に進んでみます。

5月調査報告1 関内調査

伊勢崎モールをどんどん行きます。むかし(肝冷斎30台のころ)はこのへんもエッチな店があったなあ・・・。

〇伊勢佐木町

伊勢佐木町ブルース記念碑。ボタンを押すと青江三奈さんの「うっふんの歌」(←と呼んでいました)が聴けるぞ。作曲がご主人(←この言い方はまずいぞ)だったんですね。

〇三の宮日枝神社

三の宮日枝神社は吉田新田の総鎮守として江戸時代に創建されたそうです。このあたりまで入江だったのを、江戸時代前期に吉田勘兵衛が干拓した。その一番海際に、幕末に埋め立てで出来たのが外人居留地「関内」である。詳しくは神奈川県立歴史博物館に行ってみよう。
人柱伝説もあるのですが、このへんかな?

境内にある伏島近蔵の顕彰碑。近蔵は上野の人で、幕末・明治初に養蚕や生糸業者の取りまとめをしていた人のようです。明治30年代に板垣伯の呼びかけに応じて北海道開拓に乗り出しが病没した、とのこと。

末社「堰神社」(埋め立て時の堰を祀る)にあった陽石。一円玉が貼りついたように乗せられてました。がんばってはるでー。やったれやー(男目線ですが)

〇横濱運河

三の宮神社のすぐ裏手は横濱運河が通る。江戸時代前期まではここまでが入江であった。

〇井土ヶ谷

かつての海岸線が現在の井土ヶ谷あたりです。ここは「井土ヶ谷事件跡」地に指定されているので行ってみた。文久三年に攘夷浪人がフランス公使館員カミュをぶっ殺してしまい、生麦事件同様大問題になったが、幕府は下手人を捕えることができず、フランスはついに軍を関内に上陸させていわば占領状態にされてしまった。
というのですが、右奥の看板読んだら、その事件の起こった地はここから南東1キロ離れたところ、と書いてあり、ここは単なる庚申塔と戦災慰霊碑の立っている街角でしかありませんでした。なんでここを「跡地」に指定しているのか。

本日はここまで。

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