5月調査報告2(木更津)

5月7日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・

木更津行きの列車に乗りました。なぜなら首都圏のデーゲームで一番最後まで中止の発表が無かったのが袖ケ浦のイースタン戦だったから、です。しかしスタメン発表の後、中止に。(涕)
そこで、古墳調査に目的を変更。

〇稲荷山古墳 ・・・ 木更津駅から歩いて十分。木更津タワーや金鈴塚古墳に近いところにある稲荷神社。

これがそのまま古墳だとは気づかない人も多い?でしょう。房総往還の沿道にあり、付近が田んぼだったころにはたいへん目立つ存在だったようです。

古墳上にある榎の古木。房総往還沿いのランドマークであったと想像されます。

〇高柳神社古墳 ・・・ 金鈴塚は何度か行ったので今日はもっとしぶいところを抑えようと、房総往還からも外れて北行します。

往還沿いの御不動さん。花畑の中におられる。

晴れていればキモチよさそうな水田と用水の間を行くと、集落の真ん中に繁みと鳥居があります。これが高柳の神社古墳。

御祭神などが書かれていないのでわからないのですが、立派な額が掛っていた。「罔不咸□」と読めるのですが、典故がわからない。「易」か「詩」かと思うのですが・・・。

日の丸ではありません。セブンイレブンのカレーパンです。雨がひどくなってきたのですが、腹が減ったので歩きながら食って旅行く。青春の彷徨のころのごとくである。

〇高柳古墳 ・・・ 今回の目標。房総半島は日本有数の古墳のあるところなんですが、その中で第二位の大きさを誇って「いた」おそらく五世紀前半の前方後円墳です。過去形になっているのは、道路と内房線の建設によって大幅に削られてしまったからである。

後円部の一部が遺っている感じでしょうか。すぐ向こう側を内房線が走っているので、その先まであったとすると確かにかなりでかい。

近世には、墳上には房総屈指の郷校(藩校ではなくおれたち百姓の学校です)至徳堂が建てられていた。〇印の中にその関係記念碑が四本立っています。

あ、内房線だ。・・・というところでカメラの収蔵力がいっぱいに。カードを入れ忘れていた。

というあたりで体力的にも力尽きてまいりました。いったいわしがいくつだと思っておるんじゃ。
ということで、内房線で帰ります。

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