作人悲喜(人の悲喜を作す)(「博物志」)
みなさんは「冶鳥」(やちょう)という鳥のことを知っていますか。
「そんなもの知るか」
とおっしゃるか。ふうん、知らないんですね。むかしのひとはいろんなこと知っていたんです。今の人が知らないことも。

がちゃがちゃ、
「ああ、人間は邪魔なので、さぼっててくだロボ。われらAIつきロボットにお任せあれロボ」
がちゃがちゃ、がちゃん。(・・・ダメだ、動かなくなった。昭和製はロボットもダメなのが多いのだ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三世紀、晋の時代のことですが、
越地深山有鳥如鳩、青色、名曰冶鳥。
越地の深山に鳥の鳩の如き有り、青色にして名づけて「冶鳥」と曰えり。
湖北以南の越の地の山中に、ハトのような鳥がいる。青色(例によって、赤と白以外は「青」です)で、現地のひとたちは「や」鳥と呼んでいる。
現地の少数民族のコトバですから、意味を詮索しても仕方ありません。
穿大樹作巣如五六升器、其戸口径数寸、周飾以土堊、赤白相次、状如射侯。
大樹を穿ちて巣の、五六升器の如きを作るに、その戸口は径数寸、周りは土堊を以て飾り、赤白相次いで状は射侯の如し。
巨樹の幹に穴を空けて巣を作る。それは(3世紀の一升≒0.2リットル、今の一合ぐらいなので、五六升≒)1リットル強ぐらいの大きさなのだが、その入り口のところの直径は(一寸≒2.4センチなので)6~7センチぐらいしかなく、その回りは、赤土と白い土を順次に塗って飾るので、弓の的のように見える。
伐木者見此樹、即避之去。
伐木者、この樹を見れば、即ちこれを避けて去る。
木こりの人は、この(的みたいな巣のある)木を見つけたら、これを伐ろうとせずにただちに避けて別のところに行く。
ただし、次のような場合は例外である。
或夜冥、人不見鳥、鳥亦知人不見己也、鳴曰、咄、咄、上去。明日便宜急上樹去。咄、咄、下去。明日便宜急下。
或いは夜冥に、人鳥を見ず、鳥また人の己を見ざるを知るや、鳴きて曰く、「咄(とつ)、咄、上去せよ」と。明日すなわち急ぎ上樹を去るべし。「咄、咄、下去せよ」とあれば、明日すなわち急ぎ下をすべし。
夜の暗がりの中で、もう人は鳥を見ることができなくなり、鳥の方も人に自分が見えないと確信できたときに、鳥が
「こら、こら、上の方を伐れ」
ということがある。この時は、翌日、急いで木の上の方の枝を伐らなければならない。
「こら、こら、下の方を伐れ」
と言われたら、翌日、急いで下枝を伐るのである。
「咄」(とつ)は、怒ったときの声です。
若不使去、但言笑而不已者、可止伐也。
もし去らしめず、ただ言笑して已まざるものは伐るを止どむるべきなり。
もし「伐れ」と言わずに、ただ笑い続けているだけの場合は、伐るのを中止しなければならない。
若有穢悪及犯其止者、則虎通夕来守、人不知者即害人。
もし穢悪及びその止を犯す有る者は、則ち虎、通夕来たりて守り、人の知らざる者は即ち人を害す。
省略が多くて難しい文章ですが、
もしもきたないものをひっかけたり(例えば立小便?)、鳥が止めろと言っている(上の笑っている場合でしょう)のに止めないやつがいると、トラがやってきて、一晩中見張る。その状況のわからない人間が木を伐ることを強行しようとすると、殺されるのである。
ということでしょう。
さて、
此鳥白日見其形、鳥也。夜聴其鳴、人也。時観楽便作人悲喜。
この鳥、白日にその形を見れば、鳥なり。夜にその鳴くを聴けば、人なり。時に観楽すればすなわち人の悲喜を作す。
この鳥は昼間見るとどうみても鳥なのである。だが、夜にその鳴き声を聞くと、人間(のコトバ)なのである。(鳥が)楽しいらしい時には、人間の悲しみや喜びの態をなして話す。
「怪しからん、鳥のくせに」などと思ってはいけません。これは神さまなのですから。
形長三尺、澗中取石蟹就人火閒炙之、不可犯也。越人謂此鳥為越祝之祖。
形長三尺にして、澗中の石蟹を取りて人の火閒に就きてこれを炙るも、犯すべからざるなり。越人謂うに、この鳥は越祝の祖たらん、と。
鳥の体長は(一尺≒24センチなので)70センチ強ぐらい、谷川のカニを捕まえてきて、人間の焚火のところに来て、カニをあぶ(って食べ)る。その時に邪魔をしてはいけない。
越の現地人が言うには、この鳥は、(彼らの支配者である)シャーマンたちの祖神なのだ、と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
晋・張華「博物志」巻三より。今のひとはこんな鳥も知らないし、神さまが山にいることも知らないから、困ったことじゃ。毎日日曜日ならもっと教えてあげるのですが、残念です。
国会で姿が見えなくてもXなどで託宣がありますから、大丈夫でしょう・・・と思いますけど・・・いや、それにしても・・・。
コメントをどうぞ