後漢正月旦(後漢の正月旦)(「宋書」)
「宋書」というのは六朝の方の宋の史書です。10世紀の方の宋の史書は「宋史」です。

何を残さず食べるのであろうか。われわれか。ブタが資本家を演ずるパフォーマンスかも知れません。
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後漢正月旦、天子臨徳陽殿受朝賀。
後漢の正月旦、天子、徳陽殿に臨みて朝賀を受く。
後漢の時代には、正月の朝、天子様は宮中の徳陽殿にお出ましになって、群臣からの新年のお祝いを受けられたものである。
儀礼的な挨拶が終わると、
舎利従西方来、戯於殿前。激水化成比目魚、跳躍嗽水、作霧翳日。
舎利、西方より来たり、殿前に戯す。水を激するに比目魚に化成し、跳躍して水を嗽(は)き、霧を作して日を翳らす。
西域から来たお骨が持ち込まれ、御殿の前でパフォーマンスが行われる。お骨に水を強く掛けると、骨は比目の魚(片っ方にしか目の無い魚。二匹が引っ付くと両側が見える。仲の良い夫婦に喩える)に変化し、飛び上がって口から水を吐く、すると霧になって太陽の光を遮るのだ。
このお骨は、西方の聖人(お釈迦か?)のものと言っていた。
畢、又化成黄龍、長八九丈、出水遊戯、炫燿日光。
畢(おわ)りて、また黄龍の長さ八九丈なるに化成し、水を出でて遊戯して日光に炫燿す。
それが終わると、今度は長さ15メートルぐらいもある黄色い龍に変化する。龍は水中から飛び出して、太陽の光の中でぎらぎらと輝くのだった。
それに見とれているうちに、
以両大糸縄繋両柱頭、相去数丈、両娼女対舞、行於縄上、相逢切肩而不傾。
両大糸を以て両柱頭の相去ること数丈なるを繋ぎ、両娼女対舞して、縄上を行きて、相逢うに切肩して傾かず。
「切肩」という表現がわかりずらいのですが、肩と肩とをすれ違わせる、というようなことでしょう。
二本の太めの糸で5~6メートル離れた二本の柱の先を繋ぐ。この両方の柱の先から、二人の歌い女が相対して踊りながら綱渡りを始める。(両方の糸は数センチも離れていないのだが)、二人は肩と肩をぶつけることなく、しかも傾きもせずにすれ違うのだ。
これは後漢のころで、魏や晋のころは、これに加えて
夏育扛鼎(超古代の怪力の賁育という男がなべを持ち上げる)
巨象行乳(でかいゾウが乳をやる?)
神亀抃舞(神秘のカメが手を拍って踊る)
背負霊岳(霊岳を背中に背負う)
桂樹白雪(桂の木に白雪が降る?)
画地成川(地面に線を引くとそこが川になる)
といったパフォーマンスが行われた。
晋の成帝の咸康七年(341)に至って、民に風俗を示すのによろしくない、として、雑伎の類を除き、音楽だけにしたそうである。
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「宋書」巻十九「楽志」一より。正史に書かれている本当のことなのです。正月早々なんと不真面目なことでしょうか。
岡本全勝さんが秋の園遊会に行ったようです。園遊会は真面目ですね。・・・なんと、両陛下からお言葉をいただいたとは。幻覚かも。
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