大魚入港(大魚港に入る)(「焚書」)
海の見えるところだと、でかいことを言い出す人が多いような気がします。なんとなく。

ちゃんと勉強しないと↓こんなことを言い出す大人になってしまうぞ!
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明の時代のことです。
予家泉海、海辺人謂予言、有大魚入港、潮去不得去。
予、泉海に家するに、海辺の人、予に謂いて曰く、「大魚の港に入り、潮去りて去るを得ざる有り」と。
わしは泉州の海辺に住んでいたころ、海辺の人がわしに教えてくれたところでは、
「でかい魚があるとき港に入ってきて、引き潮になってそれに乗れなかったので、港にぷかぷか浮いていたことがありましたんじゃ」
とのこと。
彼らは、
呼集数十百人、持刀斧、直上魚背、恣意斫割、連数十百石。
数十百人を呼び集め、刀斧を持してただちに魚の背に上り、恣意に斫割して、数十百石を連ぬ。
この「石」は容量か重量かわかりずらいのですが、どうせいい加減な話なのでどちらでもいいでしょう。重さの単位とすると一石≒72キログラムです。
数百人のひとを呼び集めて、手んでに刀や斧を持ってそのまま魚の背中に上り、思うままに魚から肉を切り割って、つなげると数百石(20トンぐらい?)にもなった。
だが、
是魚猶恬然如故也。
この魚、なお恬然として故(もと)の如し。
この魚は、それでも何食わぬ顔でもとのようにしていたのだった。
「くすぐったいのう」
みたいなことでしかなかったのです。
俄而潮至、復乗之而去矣。
俄かにして潮至り、またこれの乗じて去れり。
やがて急に潮が満ちてきて、これに乗ってまた沖に出て、どこかに行ってしまった。
然此猶其小者也。乘潮入港、港可容身、則玆魚亦苦不大也。
然るに、これなおその小者なり。潮に乗りて港に入り、港の身を容るるべきは、すなわち玆(こ)の魚また苦(はなは)だしくは大ならざるなり。
だが、こいつはでかい魚の中ではまだまだ小さいものだ。満潮に乗じて港に入ってきたということは、港に入る程度の大きさだということで、つまりこの魚はあんまり大きくはないのである。
予有友莫姓者、住雷海之濱、親為我言、有大魚如山、初視、猶以為雲若霧也。
予に友の莫姓なる者有り、雷海の濱に住み、親しく我のために言う、「大魚の山の如き有り、初め視るに、なお以て霧のごときと云うを為す。
わしには、「莫」という姓の友人がおる。雷海のほとりに住んでいて、自らわしに話してくれたところによれば、
「大きな魚の中には、山のようなのがおるんじゃ。最初それを見た時は、霧がぼんやりかかっているようにしか見えないんじゃ。
ところが、
中午霧尽収、果見一山在海中。連亘若大行、自東徙西、直至半月日乃休。
中午に霧ことごとく収まるに、果たして一山の海中に在りを見る。連亘すること大行のごとく、東より西に徙(うつ)るに、ただに半月の日に至りてすなわち休(や)む」
と。
正午ごろになって霧がすべて収まってみると、なんと海の中に一つの山脈があったのじゃ。連なりわたること大行山脈のようで、東から西に移動して(見えなくなるまでに)、ちょうど半月の日数がかかった」
と。
ちなみに「莫」は「~無し」の意味ですから「そんやつはいないやつ」です。「雷海」という海も存在しません。
則是魚也。其長又奚啻三千余里者哉。
すなわちこの魚なり。その長さ、また奚(なん)ぞ啻(ただ)に三千余里なるものならんや。
これが、この魚(の大きいやつ)だ。その長さは、どうして(「荘子」にいう「鯤」という魚のように)ただの三千余里に収まることであろうか(いや、それ以上だ)。
一里≒600メートルで計算して、2,000キロぐらいですかね。
この魚は豪傑の士の比喩であり、豪傑の士が郷里でどう扱われるか、というお話が続くのですが、それはまたのお楽しみ。
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明・李卓吾「与焦弱侯」(焦弱侯に与えた手紙)(「焚書」巻一所収)より。休日のみならず平日から忙しく海の見えるところに行っていたのででかい心になったのですが、もう帰ってきたので月曜日からのことをくよくよと悩んでおります。ああ、もうダメだ。行ってきたところはまたご報告します。
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