時平路復平(時平らかなれば路もまた平らかなり)(「樊川別集」)
いい時代に生まれてよかったなあ。

鳥無き里ではえらいんでギャ。黄金バットのように出世した一族もいるんでギャ。
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唐の杜牧は長安南郊の樊川(はんせん)に先祖伝来の荘園があったので、樊川を号としたのであります。詩文にともにすぐれ、韓愈・柳宗元とともに「有唐の三家」とも称せらる。(李白や杜甫は文をほとんど遺していません)
今日は早起きして出かけたときの詩をご紹介しましょう。のどかでさわやかな朝の散歩かな?
垂鞭信馬行、数里未鶏鳴。
鞭を垂れて馬の行くに信(まか)すに、数里いまだ鶏鳴せず。
ムチは垂らしたまま(で使わず)、ウマに勝手に歩ませる。数里(2キロぐらい)来たが、まだニワトリが鳴く時刻にならない。
夜明け前に出発しているんです。
林下帯残夢、葉飛時忽驚。
林下に残夢を帯び、葉の飛ぶ時たちまち驚けり。
林の下を行くとき、まだうとうとと夢の続きを見ていた。枯れ葉が落ちてきて、突然のことに目を覚ます。
まったく元気が出ません。おどおどしてしまっているぞ。
霜凝孤鶴迥、月暁遠山横。
霜は凝りて孤鶴迥(はる)かに、月は暁にして遠山横たわる。
霜が固まってざくざくいい、たった一羽だけツルがはるかな空に舞っている(これはわたしの象徴かも知れん)。月は夜明け前の空に残っていて、その下には遠い山なみが横たわっているのが(ぼんやりと)見える。
僮僕休辞険、時平路復平。
僮僕、険を辞するを休(や)めよ、時平らかなれば路もまた平らかならん。
下僕よ、「この先、険しい道になりますよ、ああイヤだなあ、避けたいなあ」と言うのをやめなさい。こんな太平の世の中である。現実の道も、人生の道も、平らかで歩きやすいに決まっているのだから。
ああ、まことに今の時代のようであります!すばらしい!
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唐・杜牧「早行」(つとに行く)。未明に起きて旅するのはどこかへの赴任か、出張かは判然しませんが、公務である。のどかとか爽やかとかの旅ではありません。
「ああイヤだなあ」
と思ってウマに乗っているんです。
さらにおつきの下僕がいて、我々はこちらの方です。彼は朝早いし、給料も安いし、よく叱られるし、ときおりグチも聴かないといけないし、もっとイヤになっているに違いない。
そして、
時平らかなれば路もまた平らかならん。
という皮肉に満ち満ちた反語がいいですね。わたしは自身のこととして時おり口ずさみ、人生行路の苦しきを言おうと思います。だが、みなさんは現場を預かるツラい立場、部下を叱咤、あるいは激励のつもりで使うのかも知れません。
ここはどういう職場だったのか、いろいろ想像して、暗鬱になってしまいます。四人も亡くなっているのだからもうそれで十分暗鬱です。ううう。だが間もなくAIがすべてを知り、解決してくれるに違いない。夜明けは近い・・・のでは?
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