善則称君(善きことあればすなわち君を称す)(「韓詩外伝」)
都内で雨が強くならないのはどなたの徳であろうか。本当に悪い人なんていないんだ。

規制厳しくせずに便利に使ってや。AIよりは無害でっせ。
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超古代のことですが、
当舜之時、有苗氏不服。其不服者、衡山在南、文山在北、左洞庭之波、右彭沢之水、由此険也。
舜の時に当たりて、有苗氏服せず。その服せざるは、衡山の南に在り、文山の北に在り、洞庭の波を左にし、彭沢の水を右にす、この険によるなり。
舜の時代(紀元前2000年ぐらい、ということになりましょうか)のこと、南方の有苗部族が服属しようとしなかった。服属しようとしなかったのは、北に南岳・衡山、南には文山のやまなみがあり、西には洞庭湖、東には(古代に存在した巨大な湿地帯である)彭沢の湿原があることから、その地の険阻なるによる。
「攻めて来るなら攻めてきてみなされ、うひょひょひょー」
と未開部族らしい剽悍な行動で、おしりをぺんぺんしたりしながら言ったのです。
「むむ。これはいかんな。王者に服属しないとは・・・」
王者に服属しないのでは、単に秩序が保てない、というだけでなく、有苗氏の民たちも王のありがたい政治をしてもらえないのですから、大損をします。つまり民のためにもならない。
以其不服、禹請伐之、而舜不許。曰、吾喩教猶未竭也。
その服せざるを以て、禹、これを伐たんことを請うも、舜許さず。曰く、「吾の喩教、なおいまだ竭くさざるなり」と。
宰相であった禹は、有苗氏が服属しないことを理由に、征伐しに行きたい、と舜に申し出た。
「だめじゃ」
舜は許さなかった。
「わしの教え諭しがまだ足りないだけなんじゃよ」
久喩教、而有苗氏請服。
久しく喩教するに、有苗氏服を請う。
長い間教え諭しを行ったところ、とうとう有苗氏は「服属させてくだされ」と要求してくるに至った。
すばらしい。すばらしいではありませんか。
天下聞之、皆薄禹之義、而美舜之徳。
天下これを聞き、みな禹の義を薄しとし、舜の徳を美とせり。
天下のひとびとはこれを聞いて、みんな禹のやり方を薄情だといい、舜さまの徳は最高や、と褒めそやした。
さて、今は漢の時代です。
問曰、然則禹之徳不及舜乎。
問いて曰く、然れば則ち禹の徳は舜に及ばざるか。
韓嬰先生に質問です。
「ということは、その後夏の国の初代王となる禹の徳は、舜の徳以下だったのだ、ということなのでしょうか」
曰非然也。禹之所以請伐者、欲彰舜之徳也。故善則称君、過則称己、臣下之義也。
曰く、然らざるなり。禹の伐つを請う所以のものは、舜の徳を彰かにせんと欲するなり。故に善きことあればすなわち君を称し、過てばすなわち己を称するは、臣下の義なり。
先生は答えた、
「いやいやそうではありませんぞ。禹が征伐しようとしたのは舜王の徳を広めるためだったのですからな。(結局、舜王の政策がうまくいったわけだが、)このように、善い結果があれば君主の功績として褒め称え、間違いがあれば臣下の失敗としてけなすのは、臣下の守るべき同義でござるのじゃ」
「ほう」
仮使禹為君、舜為臣、亦如此而已矣。夫禹可謂達乎人臣之大体也。
たとい禹をして君たらしめ、舜を臣たらしむるも、またかくの如きのみ。それ、禹は人臣の大体に達すると謂うべし。
「もし仮に、禹が君主、舜が臣下だったとしなされ。両人はどちらも聖人賢者ですから、まったく同じように(舜は主攻論、禹は喩教続行論をとり、禹を称賛)したことでございましょう。ああ、禹は、臣下としてのすぐれた状態に達していたということができますぞ」
毎日、政治学だとか地政学だとかの報道やらえらい人の解説を聞かされていると、こんな古代のお話はほんわりとして心が穏やかになるではありませんか。
なりませんか。
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漢・韓嬰「韓詩外伝」巻三より。「説苑」君道篇にも同話があります。本来は関連する「詩経」の一節の解説がある(だから「詩(経の)外伝」)のですが、そこは現代人には必要ないでしょうから、省略。
このお話のとおりにしていると、君主はワルいことはせず、すべて臣下がしたことになり、その際の臣下は君主のためにワルだと言われているだけで、臣下の義を尽くしているわけですから、いずれにしても善です。なんと、天下にワルは無くなってしまった!
めでたいなあ。やはり総理の責任を問うような文書を遺してはダメなんでは・・・あれ? 君主って総理でいいんだっけ。(古代のお話は、出て来る「君主」を「主権者」と置き換えてみるとしっくり来ます。日本で一番エラいひとが一人おられて、「主権者」の形代(かたしろ)をしてくださっているのですが・・・)
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