是固宜死(これもとより死すべし)(「支談」)

明日は安全が危ぶまれるような大雨だというんです。それなのに会社はやるらしい。肝冷庵などもとより〇すべし、自己責任だ、ぐらいには思っているのかも?

フェリーに乗って縁故車(※)と一緒に十四年前沖縄に引っ越したんです。これから人生好転する、とワクワクして行ったのになあ。あのころの記憶はどこに行ってしまったのだろうか。
※「愛」ではなく「縁故」によって入手したのでこう呼んでいます。

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南北朝時代、斉の明帝(蕭鸞、在位494~498)は自分のライバルになりそうな人を次々誅殺してしまったのですが、その中に鄱陽王(はようおう)がおりました。

鄱陽王妃劉瑱之妹也。妃追傷成疾、医不能療。

瑱善画婦人、殷菁善写人面。

当時はまだ「画家」が職業になっていたわけではありません。教養と技芸を独占する貴族が最もすぐれた絵描きでした。

殷菁はかつて鄱陽王の肖像を描いたことがあった。そのことを聞いた劉瑱は、
「これは使えるぞ」
と考え、鄱陽王のお気に入りだった女性を探し出すと、

画寵姫、而使菁画王共臨鏡。

劉瑱得意の女性画は清楚にして悩ましく、殷菁の筆は見事に鄱陽王の生前の屈託なさを写し出していた。
「うっしっし」

以示妃。

すると、

妃見之唾曰、是固宜死。

於是恩情頓歇、疾亦随差。

もりもり食うようになったんです。おとこも、かどうかは記録にありませんが。

女性の嫉妬心を否定せず、夫に従って殉死するような風俗など毛頭なく、そして妹思いの貴族のひとがなまめかしい画を描く。唐までのチャイナはこんな国だったんですけどね。

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明・焦竑「支談」下より。過去のことをきれいに忘れてしまってたのに、記憶を思い出させるような文書図画を見せたので、思い出してしまったではありませんか。●理周辺のみなさま、如何でしょうか、このお話うまく使えば、
記録なんか遺さない方がいい、後でXとか変えてしまえば好き勝手、じゃなくて国民のみなさまのために状況の変化に適切に対応することができる!」
という結論を導くことができるかも知れませんよ。

実はこの章は

業与身都如雲影、作是観已、顛倒想滅。

という仏教の真理を理解してもらえるような事件を集めたものなんです。そういう観点からみれば確かにそういうエピソードに読めるかも。

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