気色不同(気色同からず)(「小窗自紀」)
昔のひとは、自分で考えるのがめんどくさいときはどうしていたのでしょうか。

おれらヒトデは棘皮動物なので考えることなどなく、反射するだけですデ。みなさんは違うのデ? むかしの知識人?は座禅とか組んで、ぽくぽくぽくぽく・・・ちーん、「わかった!」みたいに己の無意識下の知恵などを使っていたのデあるかも。
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明の時代の人が言いますには、
秋鳥弄春声、音調未嘗有異。
秋鳥は春声を弄すれども、音・調いまだ嘗て異有らず。
秋の鳥が春の声で歌ったとする。だからといって、音や調べが(春と)違うわけではない。
どの季節にも、鳥はその本来の声で鳴くだけなのだ。
今人具古貌、気色便爾不同。
今人は古貌を具うるといえども、気・色すなわち同からざるのみ。
現代の人がむかしの人のような顔つきをしたとする。けれど、雰囲気も見た目も少しも同じではない。
その精神や思想が全く違ってしまっているからである。
このひとは、昔の人の方が立派だった、と思って言っているんです。今は今の人の方がえらい、進化論も量子力学もAIやスマホの使い方も知っているからなあ、と思っているので、「今の人はBTSみたいで見た目もかっこいい!」という意味だと思うかも。見た目はあまりかっこよくなってない人も多いと思いますが、あまり言っているとルッキズムとの批判を受けるかも知れません。
文何為声色倶清。曰、松風水月、未足比其清華。
文は何すれぞ声色ともに清きか。曰く、松風・水月もいまだその清華に比ぶるに足らず。
文章は、どうして音韻も情景もともに清らかだといわれるのか。答え:松を吹く風、水に映る月も、すばらしい文章の清らかで華麗なのには及びもつかないほどだからである。
何為神情倶澈。曰、仙露明珠、詎能方其朗潤。
何すれぞ神情ともに澈(す)めるか。曰く、仙露明珠、詎(なん)ぞ能くその朗潤たるに方(くら)べんや。
どうして精神も感情もともに透き通っているといわれるのか。答え:仙界に置く露も、輝く真珠も、すばらしい文章の明るくてうるおいのあるのには比べることもできないぐらいだからである。
そんな文章も、AIが書いてくれることでしょう。
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明・呉従先「小窗自紀」第69・70則。この本、平成22年5月26日に読了した、と書いてあります。そのころ、上のコトバにチェックを入れているので、何か気に入るところがあったのでしょう。
だがその当時、これらをAIに紐付けて読む、とは全く思いもしていなかった。今となってはAIに紐付けずに読んでみても、どうしても「でもAIが・・・」と思ってしまうのでAI抜きでは読めません。実際はこの文章が、ではなく、人間の思索的営為のすべてが、ですが。
もうAIがすべてやってくれるのでうれしいです。わたしには使い方わからないけど勝手にやってくれるんだと思います。放課後の学童でも使えるのかな。そこらへんどうするんでしょうね。
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