和戦孰便(和戦孰れか便なる)(「後山談叢」)
毎日暑いのですが、今日は四時ごろから涼しい風が吹き始め、夜はまことに快適で埼玉県某所で居眠りしてしまいました。小さい秋かも。

夏ももうすぐ終わりでメー。抵抗せずに寝て過ごすでメー。
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北宋の時代のことですが、北宋は、毎歳、契丹に金や織物や衣服や器を贈与するという条約を結んでいました。
これらの贈与品は送り出される前に朝廷に並べられ、毎年文武の役人たちを集めて皇帝以下で観覧会が開かれていた。
神宗皇帝の時、国宝クラスの贈与品を見て、何人かの役人たちが、
天子修貢為辱、而陛下神武、可一戦勝也。
天子の修貢あるは辱と為す、而して陛下神武、一戦して勝つべし。
天子が(蛮族に)修好条約を結んで貢物を贈る、などというのは屈辱も甚だしいことでございます。しかも、今上皇帝は神のごとき用兵家、一度戦えば必ず勝つことができましょう。
と言い始めた。
その場には宰相(行政の最高責任者)や枢密使(軍事の最高責任者)もいたのですが、その声はどんどん広がり、役人たちの代表が皇帝に対して契丹との和約を取り消すように上奏する始末になった。
その時、それまで黙ったいた老官僚が、でかい声を出して発言を求めた。
「いや、まったくじゃ!
陛下可一戦。
陛下一戦すべし。
陛下、一度戦うべきです。
ただ、その前に確認しておかねばなりません。
陛下謂宋与契丹凡幾戦、勝負幾何。
陛下、宋と契丹、およそ幾たび戦い、勝負幾何なりと謂わんや。
陛下は、我が宋と契丹は、和約を結ぶまでに何度戦役を行い、何勝何敗であるか、ご存じですかな。
この老官僚は、すでに半ば引退しているが、若いころ先代の仁宗皇帝のもとで「天下奇才」と謳われ、各地の長官や枢密府の幹部も務めた張方平(死後、文定公と謚り名される)であった。
皇帝はあたりを見回したが、役人たちはもちろん、
両府八公皆莫知也。神宗以問公。
両府八公みな知る莫し。神宗以て公に問う。
宰相も枢密使も、その他八人の高官たちも誰も答えられなかった。そこで、皇帝は張方平に
「教えてほしい」と下問した。
張方平は言った、
宋与契丹大小八十一戦、惟張斉賢太原之戦才一勝爾。
宋と契丹、大小八十一戦し、ただ張斉賢の太原の戦にわずかに一勝するのみ。
「宋と契丹は、大きい戦役から小競り合いまで、あわせて八十一回戦っております。しかし、その中で、先々代の真宗朝の名将・張斉賢が山西・太原で戦ったときのたった一回だけが勝ち戦でございました。
陛下、視和与戦孰便。
陛下、和と戦、いずれか便なりと視るや。
「さて、陛下、和約をこのまま続けるのと、勝てるかも知れないから一戦してみるのと、どちらがよろしゅうございますか」
上善之。
上、これを善みせり。
皇帝は「卿は善いことを言うな」とおっしゃった。
かくしてその議論は沙汰止みとなった。
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宋・陳師道「後山談叢」巻四より。誰かが止めるやろ、と思ってると止まらなくなりますよね。何のことかは別としまして。
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