不知存亡(存亡を知らず)(「至正直記」)
これはシュレージンガーのネコに関するかなり早い段階での言及ではなかろうか。

今日は新月だ。闇の中、ハクチョウたちもどんどん増えるエンゲル係数に怯えているのではないだろうか。
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宋の黄山谷のコトバに、
四民当世其業、読書種子尤不可断絶。有才気者出、便可名世矣。
四民その業を世にすべきも、読書種子は尤も断絶すべからず。才気有る者出づれば、すなわち世に名すべきなり。
士農工商、どんな仕事も、代々伝えていくべきだろう。ただし、読書し学問をするタネだけは断ち切ってはいけない。子孫のどこかに才能や気力のある者が出れば、(種子を使って)そいつは世間に名前を出すことができるだろう。
というのがあるそうです。
此石刻在荊渓岳氏。
これ石刻して荊渓の岳氏に在り。
このコトバは荊州の岳氏が石に刻んで屋敷の庭に置いていた。
子孫への戒めとしていたのであろう。
後為顕親寺僧有大方厓所得、石背刻一詩。
後、顕親寺僧・有大方厓の得るところと為り、石背に一詩を刻す。
その後、顕親寺の坊主、有大方厓というひとが入手して、裏側に詩を一篇刻みこんだ。
漁家無郷県、満船乗稚乳。鞭捶公私急、酔眠聴秋雨。
漁家に郷県無く、満船に稚と乳を乗せたり。鞭捶(べんすい)公も私も急なれども、酔眠して秋雨を聴く。
漁家はどこの県にも村にも所属せず、
船いっぱいに幼児と乳児を乗せて(家族で)流浪の生活である。
ほら、収穫の季節、陸上には収税吏や借金取りが来て、ムチをふるって公と私のカネを激しく取り立てているが、
漁師は(そのような追求を受けることなく)酔って眠り、ぼんやりと秋雨の音を聴いている。
これも黄山谷の詩である。いかにも一所不住の仏道者の気概を現わしているといえよう。さて、石の表と裏、果たして読書のタネなど遺した方がよろしいのか、悪いのか。
至正丙申以後、寺毀兵火、此石不知存亡。
至正丙申以後、寺は兵火に毀(こぼ)たれ、この石も存亡を知らず。
至正丙申の年(1356)、韓林児の乱などが起こった後は、その寺も戦乱の際に焼かれてしまった。今となってはその石がまだ残っているのか、いないのか、それさえシュレージンガーのネコである。
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元・孔斉「至正直記」巻四より。漁師さんに税金がかからないはずはないので、今はあの手この手で税金や利息やエンゲル係数やらで、ムチを持ったやつらが巻き上げていくことでしょう。いずれにしろ、座って半畳、寝て一畳。我々東洋人には膝を容れる(※)以上の広さの家は要らないですよね。
※調べて書くのめんどくさいと思ったら、このブログらしきもの(biz-web.jphttps://www.mugyu.biz-web.jp
漢文日録1.11.4)に書いてありましたのでこれを参照ください。この人毎日こんなこと書いてたんだ。尊敬されていたんだろうなあ。
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