不知幾寒暑(幾寒暑なるやを知らず)(「粤剣編」)
今年は四季から夏が外れるのでは。というぐらい涼しいですね。冷害が心配? なあに、コメなど稔らなくても大丈夫。海外から買えばいいのだ。国債はいくらでも発行できるのだからな。わっはっは。

木星くんはガスなのである。くるくるの渦巻きは巨大な台風なんです。
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チャイナ南部、広州は亜熱帯気候に属しますが、寒い季節があるらしいのです。
広州に飛来寺という名刹があります。六朝の梁の時代、江南地方から飛んできたというお寺です。その飛来寺に近いところに、禺山という山がありました。
梁時、跋多羅法師至禺山、見一老僧、形容怪甚。
梁の時、跋多羅(ばたら)法師、禺山に至り、一老僧の形容怪しきこと甚だしきを見る。
これも梁の時代ですが、天竺から南海を経てやってきた名僧・バタラ法師が、この禺山に来たとき、なんともいえない凄い姿かたちの老僧に出会ったという。
(どこかで見たことがあるような)
と思いつつ、跋多羅法師は問うた、
大徳何来。
大徳いずれより来たる。
「たいへん徳の高いお坊さまよ、どこからここに来なすったか」
師匠とか修行場所を訊くのは修行僧同士の挨拶です。
老僧は答えた、
居此山中、不知幾寒暑矣。
この山中に居りて、幾寒暑なるやを知らず。
「わしはずっとこの山に居るんじゃぞ。何時からいたんだっけ。さて、何度の寒い季節・暑い季節があったやら」
これによって広州にも寒い季節があることがわかります。
「これはすごい方じゃ」
跋多羅法師は。
因邀師過舎、偕行数里、忽転林樾。
因りて師を過舎に邀えんとし、偕に行くこと数里、忽ち林樾に転ず。
「樾」(えつ)は「木陰」です。
そこで、この僧を宿舎にお迎えしようとして、一緒に数里(1~2キロ)の山道を歩き、(間もなく宿舎にしているお寺だ、というところで)突然、僧侶は林の中に転がりこんでしまった。
遂失僧所在。
遂に僧の所在を失えり。
とうとう僧がどこに行ってしまったかわからなくなった。
寺中の僧侶たちで手分けして探したが、やがてバタラ法師は手を打って叫んだ、
「ああ、これだ、これだ」
顧視宿莽中、有怪石蹲踞、状若狻猊。
宿莽中を顧視するに、怪石の蹲踞する有り、状は狻猊のごとし。
「狻猊」(さんげい、またはしゅんげい)は獅子のことです。ブッダの座を「獅子座」(ライオンの椅子)ということから、ブッダ直伝レベルの高僧の前で、相手を呼ぶときに「狻下」とも「猊下」ともいいます。これは相手が下にいるのではなくて、獅子座の下からわたしが申し上げるのです、という意味が敬称になったものです。「陛下」や「殿下」や「閣下」も相手は階段や御殿や殿閣の上におり、わたしがその下に控えて、下におるわたしが申し上げる、ということです。陛下や殿下や閣下が下におりておられるのではありませんので要注意。
衆僧たちが法師に言われて、何年も繁った草むらをじっと見つめると、そこに奇怪な形の大きな石が、でん、と存在していた。その様子、まるで獅子が周囲を睥睨しているようである。
疑即此石所化也。
疑うらくは即ちこの石の化するところなるか。
もしかしたら、この石が化けてバタラ法師と会話していたというのであろうか。
こんな問題は法令通りでは解決できません。
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明・王臨亨「粤剣編」巻一より。禺山にある「獅石」(ライオン岩)という名勝の解説です。著者の王臨亨は江蘇出身の官僚ですが、萬暦二十九年(1601)、広東に出張に行ったときの往復の見聞をまとめたのが「粤剣編」。「粤」(えつ)は廣州の古名、漢代にこの地に使者として訪れた陸賈が「千金装」(千万円ぐらいのかっこいい格好)をしていたというが、自分の著書もそのうち百金(百万円)分の剣の価値ぐらいはあるのではないか、という意味なんだそうです(おカネの換算は当てずっぽう。どうせ「円」の価値なんかどんどん減少していくんですから、いくらでもいいのでは)。
百万円の価値があるかどうか知りませんが、わたしは千円ぐらいの価値は認めてやりたいです。中華書局の「元明史料筆記」で他二編と一緒になっているのを古本400円で買ってきたのですが。(次は7月8日に載せる予定)
王臨亨はこの年、杭州の知事をしていて出張を命じられたそうで、帰任していくばくもなく卒したとのこと。
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