才直三銭(わずかに三銭に直するのみ)(「夢溪筆談」)
科学的に説明していただきたいものです。

ゴミゼロデーだ。残さずに食べよう。何もかも。
ところでアジの塩焼きウマかった、という子どものころの記憶があるのですが、もしかしたらアジではなく塩がウマかっただけかも。でも本当に懐かしい。
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北宋の不思議な文人・孫甫、字・之翰は、河南・陽翟のひと、司馬光らとともに翰林に在籍し、後に度司副使(財務副大臣)も務めたすぐれた財務官僚でもあった。
人嘗与一硯、直三十千。
人、かつて一硯の直(あたい)三十千なるを与う。
ある人が、彼のところに硯を一つ、プレゼントしに来た。その値段は三百万円だという。
孫之翰は言った、
硯有何異、而如此之価也。
硯に何の異有りて、かくの如きの価なるや。
「このスズリが? どういうすごいところがあってそんな値段になるんですかな?」
その人は言った、
硯以石潤為貴、此石呵之則水流。
硯は石の潤えるを以て貴と為すに、この石、これを呵すればすなわち水流るなり。
「呵」(か)は、叱る、怒鳴る。
「スズリは石に湿り気があるのが高価なものとされます。この石は、「カーッ!」と𠮟りつけるとそれだけで水が流れるというすぐれものなのですぞ」
ええー!そんな貴重なものをこのわたしに? へへへ、それで、何が望みなのじゃ・・・
とふつうの人なら言うところですが、孫は言った、
一日呵得一檐水、才直三銭。買此何用。
一日に一檐水を呵し得るとも、わずかに三銭に直(あたい)するのみ。これを買いて何に用いんや。
「檐」(えん)は「軒先」を意味しますが、ここでは「擔」(たん。「担」の正字)と同じ意味、「かつぐ」。
「待て待て。一日に何度も何度も𠮟りつけて、一担ぎ(二桶)の水を出させたとしても、水売りから買えば三十円じゃ。こんなものをそんな値段で取引きして、何の益があるのか。
わしは財務官僚じゃぞ。そんなムダなものは使わない」
竟不受。
竟(つい)に受けず。
とうとう受け取ることは無かった。
価値が無いことにして、相手も「そうですなあ」と言って、無価値だから贈収賄にならない、という手の込んだ贈収賄だろう、ぐふふ、さすがよ、なあにお代官さまには敵いませぬ・・・と現代人なら考えるところですが、とうとう受け取らなかったというのである。これが宋代の士風だったのだ。
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北宋・沈括「夢渓筆談」巻九より。沈括さまの著述は科学的なので有名です。この硯はどんな仕組みになっていたのか、科学的な分析が欲しいところです。十個作れば三千万円です。それで株を買って・・・ぐふふ。
沈括さまも孫之翰さまも、「価値があるとみんなが思うと価値がある」という科学的金融経済学の素養には欠けていたようですね。これでは、実態経済に関わらずに高騰する株に手を出さない、ということになってしまうのでは。
国際郵便の便利さは科学的なのですが、苦労は非科学的な個人的問題のような感じが・・・。
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