奇書密友(奇書・密友)(「幽夢影」)
スランプの前にやる気と能力が無いのを忘れてました。さらにその前に、わしは何をしようとしていたのだっけ。

しりこだま集めぐらいの人生の目的は持つべきでカッパ。こんなところにも肝冷斎が。一定のチームに思い入れを持ってやきゅうを観られない、というのは人生の喜びの一つを放棄しているというべきかも。カッピッピッピ。
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もう仕事上のスランプは無いので、漢文を読むのにスランプ、とか、野球見に行く、とかネコをぎゅうぎゅうするのがスランプとかはあるかも知れないのですが、それらのスランプは「何もしないでいることについては好調」だということなので、もしかしたら人生最高ぐらいに好調なのかも知れません。
漢文読むのにスランプなので、短いの読んで寝ることにします。
発前人未発之論、方是奇書。
前人いまだ発せざるの論を発す、まさにこれ奇書なり。
これまで誰も言い出さなかったようなことを言い出しているなら、これは確かに「奇書」(他には無い本)というべきかもしれません。
言妻子難言之情、乃為密友。
妻子にも言い難きの情を言う、すなわち密友為らん。
女房子供にも打ち明けられないような気持ちを打ち明けられるなら、それは確かに「密友」(親密な友)といえるだろう。
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清・張潮「幽夢影」第一〇一則。このあとに「評語」が付きます。友人たちが「おれはこう思う」と書きつけたコトバ。
孫愷似:前二語、是心齋著書本領。
前二語は、これ心齋著書の本領なり。
「心齋」は張潮の号です。
前半の二語(「・・・まさにこれ奇書」)こそ、おまえさんの書き物にそのものズバリだな。
畢右万:奇書我却有数種、如人不肯看何。
奇書、我却って数種有るも、人の看るを肯ぜざるを如何せん。
ここでいう「奇書」なら、わしは数種類書いているつもり。だが、誰も読もうとしてくれないのはどういうわけなのか。
陸雲士:幽夢影一書所発者、皆未発之論、所言者、皆難言之情。欲語羞雷同、可以題贈。
「幽夢影」の一書は、発するところみな未発の論、言うところみな難言の情。語らんと欲するも雷同を羞ずれば、題を以て贈るべし。
この「幽夢影」の書こそ、言い出していることは今まで誰も言わなかったことばかり、言っているところは、すべて(妻子にも)打ち明けられないことばかり。
・・・というようなことを語り合いたいのだが、なんでもかんでも肯定ばかりしてしまうのも恥ずかしいので、ここに書きつけておきます。
肝冷斎:女房子どもにこそ、ほとんどのことは打ち明けられないのではないかと思います。「密友」のハードルはあまりに低いのでは。
ここに載せておこう、と。
観ネコ記 令和8年5月23日
午後用事ができたので、その前に戸田彩湖公園に見に行ってきました。

なにかええもん持っとるんかニャ?

こんにゃもんか。

おれのしりでもたたいてけニャ。
ちなみに同ぐらいの歳のおじいさんが来てたので、同好の士かと思い目を見合わせてにやにやしておきましたが、後でタケノコ取りのひとだったとわかって申し訳ないことをした。
別グループの「にゃうにゃう」たちはいよいよ全滅ぽいです。水入れも無くなり、生き物のいる形跡がない。
それではニャ。
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