人品高潔(人品高潔なり)(「楡巣雑識」)
まだ月曜日、あと四日もあるのだ。やること多くて大変なんです。もうダメだ。

人間性を磨けば、クマに克つ!こともできるかも。
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なんて言っていてはいけません。がんばってください。
清の時代、山東膠州の高南阜老人は、
人品高潔、書画詩三絶。
人品高潔にして、書画詩三絶なり。
人格は高雅で潔癖、書と画と詩の三つが真似できないぐらいすばらしい、と評価された。
晩年病右臂、以左手作書画、奇気坌涌、尤為世所宝貴。
晩年、右臂を病み、左手を以て書画を作し、奇気坌涌、尤も世の宝貴するところと為れり。
晩年、利き腕の右手が病気で利かなくなり、左手で書や画を描いた。その時期の作品は不思議な雰囲気があちこちに溢れ出し、世のひとびとが宝物としてものすごく貴んでいるのである。
ところで、
老人之孫嘉慶庚申順天挙人、出王勿庵門、以老人画冊十幅為贄。
老人の孫、嘉慶庚申の順天挙人、王勿庵の門に出で、老人の画冊十幅を以て贄と為す。
この老人の孫が、嘉慶庚申(1800)年に順天府の試験で挙人(地方試験の合格者)となっているが、(わたしの友人である)王勿庵先生の門人であった。決して豊かなではなかったので、南阜老人の画十枚を綴った本を差し出して、授業料代わりにした。
款題云、乾隆丁卯、帰雲和尚左手画。
款題に云う、乾隆丁卯、帰雲和尚、左手にて画く、と。
題名が書き込まれていて、
「乾隆丁卯(1747)年、帰雲和尚、左手で描いた画集である」
と。
晩年の高南阜老人は「帰雲和尚」と名乗り、出家した、か、出家したつもりでいたようです。
余仮観経年、愛玩不忍釈手、僅録其題詩、帰之。
余、仮りて観ること経年、愛玩して手を釈(お)くに忍びず、わずかにその題詩を録して、これを帰す。
わたしは、王勿庵から借りて、一年ぐらい大切に手を放すこともできないぐらい熱心に見ていたのだが、(絵を写す能力はないので)絵の題詩だけ記録して、王に返した。
画が十枚あるので題詩も十首あるのですが、いちいち挙げると煩わしいので、そのうちの第九首、
新安江上昔曾見、画出如逢旧石磯。怪得夜来簾影裏、月明猶湿古苔衣。
新安江上むかし曾て見、
画き出して逢うが如し旧石磯。
怪しみ得たり、夜来の簾影の裏、
月明るきになお古き苔衣を湿(うるお)すを。
安徽新安の川のほとりで、いつかお会いした。
思い出しながら絵にしてみて、またお会いできたように思う。あの思い出の石壁よ。
不思議なことであるが、この一夜のうちに簾の影で、
月は明るく晴れ渡っているのに、古い僧衣がしっとりと濡れてしまったのだ。
もちろん昔のとき、あるいは昔のあの人、を思い出して涙で湿ったんですよ。
これは「題石」(石に題す。「石について」)という詩である。
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清・趙慎畛「楡巣雑識」上巻より。「書画詩三絶」は憧れますが、難しそうです。「人品高潔」の方は努力次第でなんとかなるかも、と思って目指します。なれなくてもキレてはいけません。みなさんもがんばろう。質問は答えたくてもわからないことも多いです。。
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