5月6日 やっぱり普段の生活がおかしいのでは

不可立異(異を立つべからず)(「萍洲可談」)

連休も終わるので、本当の生き方に戻らなければなりません。では、本当の生き方とはどのようなものなのか?

高度な技術に振り回されず、カメのようにのそのそ生きるのがよいでカメ。

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宋の時代のことですが、

先公言使北時。

「先公」は「死んだ親父」のことです。「先生の蔑称」ではありません。というか「公」とつけているのだから尊敬語か。

見北使耶律家、車馬来迓、氈車中有婦人。

「迓」(が)は「迎える」の意です。

その女の人、

面塗深黄、謂之仏粧、紅眉黒吻、正如異物。

びっくりしたそうです。
(これは、もしかしたらキッタン族には、中央アジアを経て、今もネパールなどで見られる「クマリ(活き仏)信仰」が伝わっており、その祭祀用の山車かなんかに乗っていた女の子なのではなかったかと想像してしまうのですが、証拠はありません。)

ところで、ある人が言うには、

人眉在眼上、設有眉在眼下者、衆必駭見。

逆に、

使人人眉在眼下、而忽見眉在眼上者、其駭亦爾。

故天下未嘗有正論、雑然如此。

なるほどなあ。ということで、

要之世間事不可立異、且須通俗。

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宋・朱彧「萍洲可談」巻二より。なんで結論が「異を立つべからず」になるのか、ちょっと納得行かないですよね。
明日からまた世間さまに出ていかなければなりませんが、腹が回って、かつ破れていないズボンが無いんです。やっぱり出ていくのムリだ。でももういいや。

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