不可立異(異を立つべからず)(「萍洲可談」)
連休も終わるので、本当の生き方に戻らなければなりません。では、本当の生き方とはどのようなものなのか?

高度な技術に振り回されず、カメのようにのそのそ生きるのがよいでカメ。
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宋の時代のことですが、
先公言使北時。
先公、北に使いせし時のことを言う。
「先公」は「死んだ親父」のことです。「先生の蔑称」ではありません。というか「公」とつけているのだから尊敬語か。
死んだおやじが、北の遼の国に使いした時のことをよく話してくれた。
見北使耶律家、車馬来迓、氈車中有婦人。
北使の耶律家を見るに、車馬来迓(らいが)し、氈車中に婦人有り。
「迓」(が)は「迎える」の意です。
遼国側の接待役である耶律氏の家に伺ったところ、馬車や騎馬がたくさんやってくるのだが、毛布で覆った豪華な車の中に、女性が乗っていた。
その女の人、
面塗深黄、謂之仏粧、紅眉黒吻、正如異物。
面は深黄に塗り、これを「仏粧」と謂い、紅眉に黒吻、まさに異物の如し。
顔は黄色に塗っていて、これは「ブッダ化粧」というのだそうだが、眉毛は赤、唇は黒を塗り、どうみても変なモノにしか見えなかった。
びっくりしたそうです。
(これは、もしかしたらキッタン族には、中央アジアを経て、今もネパールなどで見られる「クマリ(活き仏)信仰」が伝わっており、その祭祀用の山車かなんかに乗っていた女の子なのではなかったかと想像してしまうのですが、証拠はありません。)
ところで、ある人が言うには、
人眉在眼上、設有眉在眼下者、衆必駭見。
人の眉眼上に在るに、設(も)し眉の眼下に在る者有れば、衆必ず駭きて見ん。
人間の眉は目の上にあるが、もし目の下に眉のある人がいたら、みんな驚いて必ずじろじろ見るであろう。
逆に、
使人人眉在眼下、而忽見眉在眼上者、其駭亦爾。
人人をして眉を眼下に在らしめ、眉の眼上に在る者を忽見せしむれば、その駭きまた爾(しか)らん。
人々の眉が目の下にある状態である時に、目の上に眉のあるひとを突然見せたら、同じようにびっくりすることだろう。
故天下未嘗有正論、雑然如此。
故に天下のいまだ嘗て正論有らざること、雑然としてかくの如し。
つまり、この世の中には、「これが正しい」ということなど何もなく、このようにいろんな状態があるのだということである。
なるほどなあ。ということで、
要之世間事不可立異、且須通俗。
これを要するに世間の事、異を立つべからず、しばらく須らく俗に通ずべきなり。
わたしがまとめてみますに、世間のことはまわりと違うことはしてはいけません。とりあえず、普通の人たちがするようにしておくべきでしょう。
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宋・朱彧「萍洲可談」巻二より。なんで結論が「異を立つべからず」になるのか、ちょっと納得行かないですよね。
明日からまた世間さまに出ていかなければなりませんが、腹が回って、かつ破れていないズボンが無いんです。やっぱり出ていくのムリだ。でももういいや。
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