約詞紀事(詞を約して事を紀す)(「不下帯編」)
弱っているのは何か、どのように困っているのか、など縷々述べるとめんどくさいので、ただ「いろいろ」の一語で表してみました。

「わしらは生まれおちた時、泣き声をあげる。あほうどもの世界に生まれてきたことが悲しいからだ」(リア王)
もしかしたら、いろいろなあほうどもがいて、なかなかおもしろいので長生きしてしまうのかも知れません。
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宋の蘇東坡は、
詩恒以約詞紀事。
詩は恒に詞を約して事を紀するを以てせよ。
詩を作る時には、言葉をできるだけ少なくして物事を叙述するようにせよ。
とおっしゃっています。例えば―――
恵州有潭、潭有蛟、人未信也。
恵州に潭有り、潭に蛟有るも、人いまだ信ぜざるなり。
廣東の恵州に深い淵があって、そこに水龍がいるのだが、ひとびとは信じようとしなかった。
ところが、
虎飲其上、蛟尾而食之、浮骨水面、人始知之。
虎その上に飲み、蛟、尾してこれを食らい、浮骨水面にありて人始めてこれを知る。
トラがその淵のほとりで水を飲んでいたところ、水龍がしっぽで巻き込んでこれを食ってしまった。トラの骨が水面に浮かんできたことで、人々ははじめて水龍が棲んでいることを知った。
―――東坡は以上のことを
以十字道尽。
十字を以て道(い)い尽くせ。
十文字で説明しつくせ。
と言うんです。解答例は、
潜鱗有飢蛟、掉尾取渇虎。
潜鱗して飢蛟有り、尾を掉(ふ)るいて渇虎を取る。
ウロコを隠し潜んでいる腹を減らした水龍がいて、
しっぽを振るってのどの渇いたトラを捕らえた。
です。
言渇則知虎以飲水召災、言飢則蛟食其肉矣。
「渇」を言えばすなわち虎の水を飲むを以て災いを召すを知り、「飢」を言えばすなわち蛟のその肉を食らうを言う。
「のどの渇いた」というコトバがあるから、トラが水を飲もうとしてヤラれたことがわかるし、「飢えた」というコトバがあるから、水龍が食ってしまったのだ、ということがわかる。
「潜鱗」で人びとが知らなかったことが表現されており、肉を食ってしまったので骨が浮かんだことも表現されている、というのである。


食ってやりゅう!
即此十字可法。
即ちこの十字、法るべし。
確かにこの十文字というのは模範にできるであろう。
しかしながら、わたくし(←肝冷庵にあらず)思いますに、
若以約詞紀事論史、則馬班以下、人人束手矣。
もし詞を約して事を紀するを以て史を論ずれば、すなわち馬・班以下、人人手を束(つか)ねん。
もし、「言葉をできるだけ少なくして事を記述する」という方針で「歴史書」を評論したら、「史記」の司馬遷や「漢書」の班固以下、代々のひとびとが歴史の叙述には、両手を握ったままで手を出さないことになるであろう。
詩的表現以外にはある程度の文字数が必要だ、と思うのです。
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清・金埴「不下帯編」巻四より。例題の水龍がトラを食ってしまう話がオモシロいので引用してしまいましたが、短い言葉で多くの意味を表わすのはたいへんですよね。「シン」というのは詩的表現で、「真」「新」「神」ぐらいまではまとめて示しているのだと思うのですが、「讖」(予言)「臣」(しもじも)「信」(信頼できる)などは入るのか。場合によっては「心」「進」「親」ぐらいは入っているかも。・・・ダメだ、弱ってきているので、細かいこと考えるのは止めよう。いや弱っているので細かいことが気になってしまうのかも知れません。もうダメだ。明日は無理だ。いや今週いっぱいぐらいかも。(プログラム交流会に文句があるのではありません。いいことだと思います。)
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