但有殺気(ただ殺気有るのみ)(「浪迹叢談」)
殺気ないですよ。とにかく眠気がすごくあります。食い気はあまりないんです。しかし太るので困るんです。

カンパネルラくんは「銀河鉄道の夜」の設定上、田舎ではいいとこの子だというだけで少し反発してしまったものであるが、殺気というほどのものはありませんでした。「妬気」というレベルでしょう。
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明末、雲間(江蘇松江)のひと李待問、字・存我は、
自許書法出董宗伯上。
自ら許すに書法、董宗伯の上に出づ、と。
自分で勝手に、その書の腕前は、同郷の名高い董宗伯よりも上であろうと評価していた。
董宗伯は名前で董其昌と言った方が通ると思いますが、明末清初の文人、書家。彼の書は、清の康煕亭が好み、真似たことで有名です。
そこで、
凡里中寺院有宗伯題額者、李輒拐書以列其旁、欲以示己之勝董也。
およそ里中の寺院の宗伯の題額有るものは、李すなわち書を拐して以てその旁らに列し、以て己の董に勝るを示さんと欲す。
近隣のお寺に董宗伯の書いた題額があるところがあると、李待問は自分の書いた題額を抱えて持って行き、その隣に並べて、これによって自分の書の方が董の書にまさることを顕示しようとしたのである。
「そんなやつがいるのか」
宗伯聞而往観之、曰、書果佳、但有殺気、恐不得其死。
宗伯聞きて往きてこれを観て、曰く、「書果たして佳なり、ただし殺気有りて恐らくはその死そ得ざらんのみ」と。
董其昌はその話を聴いて、自分の題額と並べられた李の書を見に行った。そして言うに、
「この書は思っていたとおり、すばらしい。しびれる。ただ、どこかに「殺気」(ものと敵対し、滅ぼそうとする雰囲気)があるようじゃ。おそらくこの人は、まともには死ねないのではないか。それだけは心配じゃな」
と。
後、李果以起義陣亡、宗伯洵具眼矣。
後、李果たして起義を以て陣亡し、宗伯まことに具眼なり。
後、李は結局、反清の戦争に参加して戦死してしまったから、董宗伯はほんとに書を見る目があったということであろう。
なお、
相伝宗伯以存我之書、若留于後世、必致掩己之名、乃陰使人以重価収買、得即焚之。故李書至今殊不多見也。
相伝うるに、宗伯、「存我の書を以てもし後世に留むれば、必ず己の名を掩うを致さん」として、乃ち陰に人をして重価を以て収買せしめ、得れば即ちこれを焚けり。故に李の書、今ことに多くは見えず、と。
民間でひとびとが伝えあってきたことでは、董其昌さまは、
「李存我の書が後世に伝わってしまうと、いつか必ずわしよりも高く評価されることになってしまうじゃろう」
と考えて、そこで人に探られぬように人に頼んで高い価格で李の書を買い占めさせ、手元に入ればただちに焼き捨てさせた、という。このため、李の書は、現在それほど多くは伝わらないのである。
と言いますが、
此与趙松雪焚鮮于伯機書正同、皆恐繋無稽之語耳。
これ趙松雪の鮮于伯機の書を焚くと正に同じく、みな恐らくは無稽の語に繋らんのみ。
これは元の時代に、書の大家・趙松雪が、鮮于伯機の書を集めて焼いた、というお話と全く同じである。どちらも恐らく、事実の全くないデマであると考えられる。
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清・梁章矩「浪迹叢談」巻九より。高いおカネを出して人の画を買って焼く、というのは、2000ポイントのために労力を使うのとなんとなく似ているではありませんか。むにゃむにゃ。「人間とはどんなものであるか、勉強になるお話だなあ」と思って更新しながら、むにゃmny、ぶうすか、と何度も眠ってしまうぐらい眠いです。「但有眠気」(ただし眠気あるのみ!)と喝破されてしまうかも・・・とかきながらまたこっくりと眠ってました。春眠一日中憶えず、である。
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