3月3日 寒くて雨。見てないけど月食してましたか

天下杜口(天下、口を杜(とざ)す)(「後漢書」)

グチとモンク以外、特に言いたいこともないですけどね。為政者が民衆のグチと文句を聞かない世の中になってはいかんが。

おひなは道徳的にマウント取ってくるので、なにごとにもびびっておる。そのうちクーデタもあるかも。

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後漢の中頃に張皓、字・叔明という人がいましたんじゃ。

及順帝即位、拝皓司空。在事多所薦達、天下称其推士。

本来の「推し活」ですね。みなさんのやっているのはちょっとおかしいやつです。
同じころ、趙騰という正義派のひとが

上言災変、譏刺朝政。章下有司、収騰繋考、所引党輩八十余人。

月食だからといって政治を批判してはいけませんよ。
さて、張皓は趙騰を推薦していたわけではなかったが、

上疏諫。

曰く、

臣聞堯舜立敢諫之鼓、三王樹誹謗之木。春秋採善書悪、聖主不罪芻蕘。

これは、「淮南子」主術訓にいう、

堯置敢諫之鼓、舜立誹謗之木。

という伝承に則ったものでしょう。こちらには、禹・湯・武の三王が出てこないではないか怪しからんと細かいことで怒ってはいけません。ちなみに、「敢諫の鼓」は、言いたいことがある者はその太鼓を叩く。そうすると堯帝がそれを聞いて、叩いた者から言いたいことを聞く、という仕組みになっていました。「誹謗の木」は棒を横二本、縦二本交差させたもので(「井」の形になります)、その木に言いたいことを書きつけられるようにしたものだそうです。

騰等雖干上犯法、所言本欲尽忠正諫。如当誅戮、天下杜口、塞諫争之源、非所以昭徳示後也。

と言われまして、

帝乃悟、減騰死罪一等、余皆司寇。

「司寇」は裁判を司る最高官僚です(最高裁長官)が、ここでは二年の徒刑をいうようです。

その後、

四年陰陽不和策免。陽嘉元年卒、時年八十三。

陰陽が和さないと宰相の責任になるんです。そんな能力はたいていアンラーニングされてますよね。

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「後漢書」巻五十六「張等列伝」より。この張皓さまは、

六世祖良、高帝時為太子少傅、封留侯。

高祖の軍師・張良、字・子房の子孫ではありませんか。張良は体が弱いから引退すると言っておいてちゃんと子どもいたんですね。

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