2月2日 アレルギー的なやつにやられもうダメだ

安独無情(いずくんぞ独り無情なる)(「晋書」)

もう呼吸とかするのめんどくさくなってきました。

これからは木の実でも食って生きていこうと思っていたが、最後にカニを食うか。

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東晋はじめごろの郭文、字・文挙は河内・軹(し。今の河南・済源)のひとなり。

少愛山水、尚嘉遁、毎游山林、忘返彌旬。

郭文は、父母が亡くなってその喪に服していたが、やがて喪が明けると、

不娶、辞家游名山、恒著鹿裘葛巾、採竹葉木実、貿塩以自供。

お酒や肉類は手に入れることさえしなかったのだと思います。

食有余穀、輒恤窮匱。

東晋の宰相・王導はその名声を聞いて人を遣わしてお迎えすると、建康にある自らの屋敷の西園に住まわせた。

山西出身で用兵家としても名高い温嶠が面会して、訊いてみた。

先生安独無情乎。

食べたいとか、カネが欲しいとか、アレをしたい接待しろ、とか、いろいろ欲望がありますでしょう。ほんとに無いんですか。へへへへ。

郭文は答えた、

情由憶生。不憶故無情。

「なるほど。では、

先生、独処窮山、若疾病遭命、或為烏鳥所食。顧不酷乎。

先生は言った、

蔵埋者亦為螻蟻所食、復何異乎。

と。

ある晩、王導の家では宴会が開かれ、お酒や料理や音楽や妓女が並べられていた。王導は瀟洒な文化人ですから、同席者に「先生もお呼びしようではないか」と言って、西園の小屋にいある郭文を呼んだ。
こんなところに来てくれるのかな、と危ぶんだが、

文瞠眸不転、跨躡華堂、如行林野。於時坐者咸有鉤深味遠之言、文常称不達来語、天機堅宏、莫有窺其門者。

一旦、忽求還山。及蘇峻反、人皆以為知幾。

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元・張雨「玄品録」巻二より。賢者だとは思うのですが、ちょっと中途半端です。毎日ハダカで歩くとかそういう奇行が欲しいところです。なお、このお話、「晋書」巻九十四「郭文伝」では途中まで同じなのですが、途中から何だか違ってきてしまいます。気になる方はこちらもどうぞ
そういえば、選挙前一週間を切って、「憲法改正もさせてください」と総理の女の人が言いはじめたらしいんです。かなりの奇行かも。統治には不信ないです。まったく。ほんとに。うっしっし。

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