一字不同(一字同じからず)(「萍洲可談」)
それでも今年の幸運を得なければならない人は買わなければならないんでしょうね。わしのような老残の身ともなれば買わなくていいんですけど。「老残」と「老氓」は一文字違い、だいたい同じものかも。

ヒノエウマ、てこんな感じのウマ?
2月のカレンダーや観ネコ、調査報告の写真がまた送れなくなってるんで、カレンダー抜きで進めるでヒン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北宋時代、新法党の領袖として活躍した荊公・王安石さまは、
退居金陵、結茅鍾山下。
金陵に退居し、鍾山の下に結茅す。
退職して金陵(南京)に隠居し、鍾山のふもとに粗末な家を建てた。
ほんとはそんなに粗末ではなかったんですが、元宰相の家としては粗末だった、ということです。
毎日ひまなので、
策杖入村落。有老氓張姓、最稔熟。
策杖して村落に入る。老氓の張姓なる有りて、最も稔熟せり。
杖を引いてふもとの村に行った。そこには張という姓の老いた庶民がいて、この人と最も馴れ親しんでいた。
公毎歩至其門、即呼張公、張応声呼相公。
公、歩してその門に至るごとに、即ち「張公」と呼び、張は応声して「相公」と呼べり。
王安石さまは歩いてその人の家の門の前を通るたびに、必ず「はーりさん」と呼びかけた。すると、張はそれに応じて「そーりさん」と応えるのであった。
「待て待て、「そうり」なんて現役時代の呼び方じゃ、いつまでもそんなふうに呼ばなくても・・・」
と言っていたのだが、ある日、いつもどおり「そーりさん」と応えられた途端、
公忽大咍。
公、忽ち大咍せり。
「咍」(かい)は「わらう」。
「がはははは、そうであったか」
王安石は突然大笑いし出した。
「どうされたかな?」
我作宰相許時、止与爾一字不同耳。
我、宰相を作す許(ばか)の時、爾と一字同じからざるのみに止まれり。
「わしは現役の宰相だったときから、おまえさんと「そーり」と「はーり」の一音分ぐらいしか違わなかったのじゃ!」
「それはそれは」
張も一緒になって大笑いしたということである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
北宋・朱彧「萍洲可談」巻三より。人間の間の差なんてそんなもので・・・いやいや。人格・骨柄・知性・外見・足の長さ、えらい人は何から何まで違いますですぞ。お口もお達者でいらっしゃいますし。
まあ実際には、オーラというか、そういう雰囲気があって我々とは違うんだろうと思います。反論しようにも反論が思いつかないと思う。なお、岡本全勝さんに対する旧自治省の先輩の言は、「礼記」曲礼上の
為人臣之礼、不顕諫、三諫而不聴、則逃之。子之事親也、三諫而不聴、則号泣而随之。
人臣の礼たる、顕諫せず、三たび諫して聴かれずんば、すなわちこれを逃る。子の親に事(つか)うるや、三たび諫して聴かれずんば、すなわち号泣してこれに随う。
臣下のやり方としては、あからさまな諫言はしてはならない(隠喩でしなければならないんです)。三回諫言しても言うことを聞いてくれなかったら、その国(会社)を去りなさい。子どもが親に仕えるときは少し違います。三回諫言しても言うことを聞いてくれなかったら、大声を出して泣きながら親の指示に従わねばなりません。
に拠るものでしょう。
観ネコ記 令和8年2月1日
戸田で観ネコしてきました。今日は死にかけシロネコのところにはタヌキやシマネコはもうおらず、激弱タキシードだけ。たらふく食いやがりました。
奥の方ではキティミケには会えず、奥ミケは暖かいのもありかなり長時間のしりたたき。失明してからどんどん生きているのがめんどくさくなってきているのか(他のえさやりさんも同じ感触)、少したたくとすぐごろんと転がります。帰りにシロミケに会ってだんだん日が暮れて寒くなってきたので人間座布団にされる。仕返しに顔ぎゅうぎゅうしたった。
写真類はスマホからこちらに送れないので、また送れるようになってからです。
コメントを残す