其才何可掩(その才何ぞ掩うべき)(「語林」)
見せてはいけない。隠さないと。

縄文人には隠すことは何もないでモンジョ。
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北宋の呂恵卿といえば新法党の大幹部で、しかも先輩の王安石を失脚させて自ら権力を掌握しようとするなど策謀型の政治家として人気がない。ばりばりの旧法党でこの時期洛陽に退隠させられている程伊川などから見れば、許しがたい政敵である。
という状況下なんですが、呂恵卿は西夏との抗争の指揮を取るため、陝西の延安に赴くことになった。
首都・開封から延安に行くには、必ず洛陽を通ることになります。洛陽に住む程伊川は弟子に言った、
呂吉甫未識其面。明旦西出、必経吾門。我且一覘之。
呂吉甫はいまだその面を識らず。明旦西出すれば、必ず我が門を経ん。我まさにこれを一覘せん。
呂吉甫(字で呼んだ)とはこまで一度も面会したことがないんじゃよ。明日の朝西に向かうとすれば、必ず我が家の門前を通ることになるだろうから、一目見てみようと思う。
「はいはい」
迨旦了、無所聞。
旦に迨(およ)び了するに、聞くところ無し。
というわけで朝になり終えたが、門前では全く物音がしなかった。
詢之則過已久矣。道旁多不知。
これを詢(と)うに、過ぐること已に久し。道旁も多く知らず。
そこで周囲に訊いてみると、とうの昔に過ぎて云ったとのこと。あまりにも静かで気づかなかったのだ。道の傍らに住んでいる人たちも、ほとんどは気づかなかったという。
程伊川は、「おお」と嘆息して、言った。
夫以従者数百人、馬数十行道中。能使悄然無声。
それ、従者数百人、馬数十を以て道中を行く。能く悄然として声無からしむるとは。
なんと、宰相クラスであるから従者は数百人いるはずだし、馬も数十頭いて、旅を続けているはずである。そいつらを黙らせて声を立てさせないとはなあ。
馭衆如此、可謂整粛矣。立朝雖多可議、其才亦何可掩。
衆を馭することかくの如し。整粛なり、と謂うべし。立朝には多く議すべしといえども、その才また何ぞ掩うべけんや。
多くの人々をこんなふうにコントロールできるのだ。整備され、粛然としている、といえるだろう。朝廷での政策や立ち居振る舞いにはいろいろあると議論されている人だが、才能自体はまた隠し通せるわけがあるまい。
必ず認められますよ、というのである。ということは、逆に、為政者はこのような才能を見出さなければならないのである。
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明・何良俊「語林」巻十七「賞誉第九下」より。篇名の「賞誉」は「ほめことば」です。わたしも独りでいるときは黙りこくって沈黙を守っているのですが、〇田などの部下を静粛にさせることはできませんでした。なめられはしても管理はしないからです。管理すると四つの罠に嵌るかも知れませんからね。うっしっし。
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