10月10日 目の愛護デーだがもうダメだ眠い

其才何可掩(その才何ぞ掩うべき)(「語林」)

見せてはいけない。隠さないと。

縄文人には隠すことは何もないでモンジョ。

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北宋の呂恵卿といえば新法党の大幹部で、しかも先輩の王安石を失脚させて自ら権力を掌握しようとするなど策謀型の政治家として人気がない。ばりばりの旧法党でこの時期洛陽に退隠させられている程伊川などから見れば、許しがたい政敵である。

という状況下なんですが、呂恵卿は西夏との抗争の指揮を取るため、陝西の延安に赴くことになった。

首都・開封から延安に行くには、必ず洛陽を通ることになります。洛陽に住む程伊川は弟子に言った、

呂吉甫未識其面。明旦西出、必経吾門。我且一覘之。

「はいはい」

迨旦了、無所聞。

詢之則過已久矣。道旁多不知。

程伊川は、「おお」と嘆息して、言った。

夫以従者数百人、馬数十行道中。能使悄然無声。

馭衆如此、可謂整粛矣。立朝雖多可議、其才亦何可掩。

必ず認められますよ、というのである。ということは、逆に、為政者はこのような才能を見出さなければならないのである。

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明・何良俊「語林」巻十七「賞誉第九下」より。篇名の「賞誉」は「ほめことば」です。わたしも独りでいるときは黙りこくって沈黙を守っているのですが、〇田などの部下を静粛にさせることはできませんでした。なめられはしても管理はしないからです。管理すると四つの罠に嵌るかも知れませんからね。うっしっし。

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