10月9日 これぐらい賢くなりたいものですのう

欣然微笑(欣然として微笑す)(「清朝野史大観」)

このひと、AIぐらい賢いのでは?ああ、憧れるなあ。

「あこがれるでヒン」「ドウブツのように賢いでほげ」

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清・乾隆乙酉年、というのは乾隆三十年(1765)ですが、その年の科挙試験の問題をどうするか、

由帝欽命、内閣先期呈進四書一部。

この四書のどれかを選び、さらにその中から一章を選んでいただいて、それについて小論文を書かせようというのである。

すでに、

内監捧四書、発還到閣。

もちろん試験日までは試験担当以外には絶対秘密であり、宦官たちも取次をしているだけで、封緘された問題文はわからない。

時の権力者、和坤(わこん)さまが、封じられた問題文を届けたばかりの宦官に、

問帝命題時情状。

宦官言う、

上手披論語一本将尽矣。始欣然微笑、振筆直書。

そのまま封緘されたのだという。

「論語」から出題されたことがわかりました。

「うれしそうにニヤニヤされた・・・か」

陛下のお好みのことなら何でも先回りして手を打つ(ソンタクするわけですね)のが得意な和坤さまだが、さすがに手がかりが少ない。

坤沈思良久。

だが、やがて「なるほどなあ、さすがは帝じゃ。よく考えられた」と一人で頷くと、

乃密通信於其門生預搆。獲雋者甚衆。

「雋」(しゅん)は鳥を射て得られる肉のうまいところのこと。転じて「俊」と同じ意味となって「勝利」とか「合格」を意味します。

さて、和坤さまは、一体、「論語」のどの章を予想したのでしょうか。

(答)為乞醯焉一章。

乞醯焉の一章と為せり。

―――「雍也篇」の中の「乞醯焉」(「醯を乞えり」)の章であろう、と予測したんじゃよ。

「乞醯焉章」は次のような章です。

子曰、孰謂微生高直。或乞醯焉、乞諸其隣而与之。

「微生高」は当時の魯の国のひとらしい、ということしかわかりません。「醯」(けい)はお酢のことです。

ありません、というべきだったのだ。そう言わずに他者からもらって与えたということは、恩を売ろうとしたか名誉を求めたか、だ。正直者であるはずがない・・・。

―――なぜわかったかというと、

蓋乞醯二字中嵌乙酉字在内也。

こんな二文字は「論語」中を探しても他に無い。陛下がうれしそうにニヤニヤしたとしたら、こういういたずらを思いついたからじゃよ。

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「清朝野史大観」中「清人逸事」巻六より。ソンタクするならこれぐらいはしてほしいですね。というか、しもじもと生まれたらこれぐらいはしたいものですじゃよ。ほうほう。
AIは先例をたくさん集めて答えを出してくださるのだが、政治や行政の先例は、たいてい間違っているから問題になるんです。そこから答えを出すなんて・・・。と思ったが、この和坤さまと同じ手法だと考えれば、おえら方たちのすごいお気に入りになっているわけがわかりますね。(乾隆帝の死後誅殺されますが、AIだから気にしないと思われる。)

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