欣然微笑(欣然として微笑す)(「清朝野史大観」)
このひと、AIぐらい賢いのでは?ああ、憧れるなあ。

「あこがれるでヒン」「ドウブツのように賢いでほげ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
清・乾隆乙酉年、というのは乾隆三十年(1765)ですが、その年の科挙試験の問題をどうするか、
由帝欽命、内閣先期呈進四書一部。
帝の欽命に由るとして、内閣期に先んじて四書一部を呈進す。
乾隆帝ご自身から出題いただくこととなり、内閣の学士たちから、試験時期を控えて、「大学・論語・孟子・中庸」の四書を一部づつ、お届けした。
この四書のどれかを選び、さらにその中から一章を選んでいただいて、それについて小論文を書かせようというのである。
すでに、
内監捧四書、発還到閣。
内監四書を捧げ、発還して閣に到る。
宦官の方から四書をお見せし、帝から出題が内閣学士たちのもとに還ってきた。
もちろん試験日までは試験担当以外には絶対秘密であり、宦官たちも取次をしているだけで、封緘された問題文はわからない。
時の権力者、和坤(わこん)さまが、封じられた問題文を届けたばかりの宦官に、
問帝命題時情状。
帝の命題時の情状を問う。
「陛下が出題されたときの御様子は如何だったかな?」と訊いた。
宦官言う、
上手披論語一本将尽矣。始欣然微笑、振筆直書。
上、論語一本を手披し、まさに尽くせり。始めて欣然と微笑し、筆を振るいて直書す。
「陛下は、四書のうち「論語」を自らお開きになって、ほぼすべて読み終わられた後、うれしそうにニヤニヤされながら筆を取られてご自分で問題を書きました」
そのまま封緘されたのだという。
「論語」から出題されたことがわかりました。
「うれしそうにニヤニヤされた・・・か」
陛下のお好みのことなら何でも先回りして手を打つ(ソンタクするわけですね)のが得意な和坤さまだが、さすがに手がかりが少ない。
坤沈思良久。
坤、沈思することやや久し。
和坤さまは、しばらく間、黙って考え込んでおられた。
だが、やがて「なるほどなあ、さすがは帝じゃ。よく考えられた」と一人で頷くと、
乃密通信於其門生預搆。獲雋者甚衆。
すなわち密かにその門生に通信して予(あらかじ)め搆(かま)えしむ。獲雋(かくしゅん)者甚だ衆(おお)し。
すぐに、食客の書生たちにひそかに連絡をして、その章について小論文の準備をしておくように知らせた。結果、彼の関係者には、この時ずいぶん多く合格したのであった。
「雋」(しゅん)は鳥を射て得られる肉のうまいところのこと。転じて「俊」と同じ意味となって「勝利」とか「合格」を意味します。
さて、和坤さまは、一体、「論語」のどの章を予想したのでしょうか。
(答)為乞醯焉一章。
乞醯焉の一章と為せり。
―――「雍也篇」の中の「乞醯焉」(「醯を乞えり」)の章であろう、と予測したんじゃよ。
「乞醯焉章」は次のような章です。
子曰、孰謂微生高直。或乞醯焉、乞諸其隣而与之。
子曰く、孰(た)れか謂う、微生高を直なりと。或(あ)る人、醯(けい)を乞うに、これをその隣に乞いてこれに与えたり、と。
「微生高」は当時の魯の国のひとらしい、ということしかわかりません。「醯」(けい)はお酢のことです。
孔先生がおっしゃった。
「誰があの微生高のことを正直ものだ、と言ったのだ? あいつは、あるひとから「お酢を分けてくれ」と言われて、隣の家から分けてもらって与えたのだぞ」
ありません、というべきだったのだ。そう言わずに他者からもらって与えたということは、恩を売ろうとしたか名誉を求めたか、だ。正直者であるはずがない・・・。
―――なぜわかったかというと、
蓋乞醯二字中嵌乙酉字在内也。
けだし、「乞醯」二字中、「乙酉」字を嵌めて内に在り。
つまり、「乞」と「醯」の二字には、今年の干支である「乙」と「酉」が中にはまり込んでいるではないか。
こんな二文字は「論語」中を探しても他に無い。陛下がうれしそうにニヤニヤしたとしたら、こういういたずらを思いついたからじゃよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「清朝野史大観」中「清人逸事」巻六より。ソンタクするならこれぐらいはしてほしいですね。というか、しもじもと生まれたらこれぐらいはしたいものですじゃよ。ほうほう。
AIは先例をたくさん集めて答えを出してくださるのだが、政治や行政の先例は、たいてい間違っているから問題になるんです。そこから答えを出すなんて・・・。と思ったが、この和坤さまと同じ手法だと考えれば、おえら方たちのすごいお気に入りになっているわけがわかりますね。(乾隆帝の死後誅殺されますが、AIだから気にしないと思われる。)
コメントを残す