10月8日 寒露節で涼しくなり、めでたいのう。

朝臣皆賀(朝臣みな賀す)(「後漢書注」)

ノーベル賞をまたのう、ほうほう。めでたいことですが、なかなか涼しくなりません。「気象庁は何をやっているんだ!説明責任を果たせ!」とおしかりの筋もあるかも知れませんが、気象庁が失敗しても、怒ってはいけないのです。

あるきめですはハダカで走り回ってて捕らえられたひとである。服が無かったのでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後漢・の初平四年(193)といえば、董卓も殺されてさらに混乱が深まったころですが、

正月朔日、日有食之。

陰暦ですから日食は一日、月食は十五日にしか起こらないので、別に正月元旦から日食になってもいいのですが、この日は天文官である太史令から日食になるという予報があったので、朝臣たちはみな宮中の正殿に詰めていた。
唐・李賢らの注(「袁宏紀」に拠るという)によれば、この日、

時未晡八刻。

「晡」(ほ)は一日二食時代に「メシを食う時間」の意味で、夕方より少し前、申刻(午後四時ぐらい)を指します。また、「一刻」は、もともと一日(昼と夜)の百分の一の長さ、だいたい十五分ぐらいでしょうか。午後四時の八刻前、ということは午後二時過ぎでしょう。

太史令王立奏曰、晷過度、無変也。

「晷」(き)は太陽の日影の長さ、要するに日時計における「時刻」のことです。

当時の予報能力では、「外れ」はよくあることです。漢代のひとはアタマがいいので、外れたときには(ほんとは外れただけだと大体わかっているのですが)、皇帝の徳によって日食が防がれたのだ、と解釈することになっていました。

したがって、

朝臣皆賀。

ところが、

未晡一刻而食。

太史令の日食予報は間違っていなかった。ただ、二時間ぐらい開始時刻を誤ってしまったのだ。

「どういうことだ!」
「怪しからん!」
「責任者はどなたですのかしら?」

と騒然とする中、御史がただちに奏上して曰く、

立司候不明、疑誤上下、請付理官。

王立はただただ平伏するばかり。

すると、皇帝はおっしゃった。

天道遠、事験難明。欲帰咎史官、益重朕之不徳也。

「ははー」

ということで、祝賀を申し上げた臣下たちもみんな許されました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「後漢書」巻九「献帝本紀」(唐・李賢等注)より。ということで、「気象庁怪しからん」「責任者出てこい」「おほほ、どういうことでございますかしら」とか言っていると、みなさんの不徳をさらに重ねることになってしまいます。ここは暑くてもにこにこして、「こよみどおり涼しくなってきましたなあ」「ほうほう、昔の人のいうとおりですのう」と祝賀しあっておくしかありません。
こども食堂も「こども食堂増やしたからOK」とか言っててはダメですよね。こちらはほんとに。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す