謂之報羅(これを報羅と謂えり)(「唐摭言」)
そのうちあちら側から呼ぶ・・・かも知れませんよ。

おれは誰も呼ばずにあぶらを独り占めするにゃ。
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唐の貞元五年(789)の科挙で、羅玠というひとが及第(合格)した。
当時、科挙に合格した新しい進士たちは、長安南郊の曲江で皇帝じきじきに宴を賜うことになっており(これを「関宴」と呼んだ)、羅玠もそれに参加した。
そして、あのことが起こったのだ。
進士たちは何人かづつ組になって舟に乗り、池をめぐりながら詩を作るのだったが、
泛舟、舟沈、玠以溺死。
舟を泛ぶるに、舟沈み、玠以て溺死せり。
何艘かの舟が浮かんだ中に一艘が転覆して沈んでしまい、同乗の他の進士たちは救い出されたのだが、羅玠だけは救出が遅れ、溺死してしまったのだ。
進士となって皇帝の宴を賜るという、人生最高の晴れがましい場で、死んでしまったのである。さぞかし無念もあったであろう。それ以来、
有関宴前卒者、謂之報羅。
関宴の前に卒する者有れば、これを「報羅」と謂えり。
進士に合格していながら、祝いの宴会の前に死んでしまった者が出ると、「あいつは羅さんに呼ばれたのだろう」というようになった。
「報羅」というのは、もう少し字義通りには、「羅さんのたたり」とか「羅さんの怨みの報い」というような語感でしょうか。
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五代・王定保「唐摭言」巻三より。「唐摭言」という書物は、唐の時代の「摭」に関する関係用語を集めた本、というぐらいの意味です。では「摭」(セキ)とは何かというと、「摭」は「拾」と同じ、「ひろう」。ただし、ここで拾うのは、人材。人材を拾い集めることについての本、これは経営者としてはタメになるかも、と思うかも知れませんが、残念ながらその方法は「科挙試験」のことしか念頭にありません。要するに唐代の科挙に関する故事来歴集。制度のこと書いてあってもオモシロくないですが、こういうエピソード系の話になるとオモシロいですね。
ところで、この「あちら側から呼ぶ羅さん」に関しては、同時代の劉禹錫の「周魯儒を送る詩の序」という文章の中に、送別会に参加した人々の一人としてちらりと出てくるんだそうなんです。(「唐摭言校注」(上海社会科学院出版社2003)所収の姜漢椿注による)
羅玠升俊造、仕甸服、官至御史。
羅玠は俊造に昇り、甸服(でんふく)に仕え、官は御史に至れり。
(出席者の名前と略歴が並べられた中に)羅玠。彼は科挙試験に合格してすぐれた人材の一覧に載せられて、甸服(古代、畿内の外の地域を呼んだ語、すなわち地方)の役人となり、中央の監察官になっている。
この羅玠が貞元五年進士の羅玠と同じ人(おそらく時期的に同じ人)だとすると、事故はあったかも知れませんが実際には死んでない、あるいは溺死したのは別の人、で、ただ後世になると「羅玠という人が溺死した」というウワサが事実化してしまった、ということなのでしょう。唐代の人は、ファクト・チェックめんどくさかったんでしょうね。今の人は知りませんが。
わたしもそう思います。対案は、憲法改正して国民全員に国防義務を負わせて訓練とか教育とかすること、でしょうか。ビッグマックいくらになるかな。
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