以紿流俗(以て流俗を紿(あざ)むく)(「梁渓漫志」)
世の中うそばっかり・・・とわかっているつもりでも、騙される。賢い人でも騙されるのだから、わしらは、まあいいか。

わたしはお岩みたいに妖怪っぽい化粧はしませんの。おほほほ。
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北宋の時代、
老泉賛呉道子画五星。
老泉、呉道子の五星を画くに賛す。
「老泉」は、北宋の蘇洵(蘇軾、蘇轍のおやじ)の雅号です。息子たちと合わせて「三蘇」と呼ばれた文人で、唐宋八大家の一人にも数えられる。「呉道子」(呉道玄とも)は唐の開元年間(713~741)、玄宗皇帝に仕えた伝説的な大画師で、その後の人物画や山水画に大きな影響を与えたひとです。「五星」は木火水土金の五つの星。空にある惑星を描いているのではなく、「五星神」という五人の道教の神さま(どうやら女神さまらしい)です。
老泉・蘇洵が、唐の画家・呉道子の画いた「五星」の図に、画賛を書いている。
絵そのものは遺っていないようですが、文集にその画賛が収められている。読んでみます。
粧非今人、唇伝黒膏。
粧は今人にあらず、唇に黒膏を伝う。
その化粧は現代と違いて、黒きあぶらをくちびるに塗れり。
はあ? 黒い口紅?
予嘗疑、霄漢星辰之尊、而粧飾乃如是之妖、何也。
予かつて疑う、霄漢の星辰の尊にして粧飾のかくの如く妖なるは、何ぞや。
「霄漢」は「大空」です。
わたしは以前、疑問に思ったものである。大空にある星の神さまなのに、その化粧がこんなふうに妖怪じみているのはどうしてだろうか。
その後、「新唐書」五行志を読んでいましたところ、こんな記事を発見した。
元和末、婦人為円髻椎髻、不設髪飾、不施朱粉、惟以烏膏注唇。
元和の末、婦人は円髻・椎髻を為し、髪飾を設けず、朱粉を施さず、ただ烏膏を以て唇に注す。
唐の元和年間(806~820)の終り頃、女性たちの間で、まるまげや先が大きくなった椎まげを結い(髪を垂らさずに高めにあげ)、髪飾りはつけず、頬紅をほどこさず、ただ、「からすあぶら」と言われる黒い軟膏をくちびるに注(さ)すのが流行った。
状若悲啼。
悲啼のごとき状とす。
悲しんで泣いているような顔に装ったのである。
そういうのが「すてき」という時代があったのだ。
これで「黒い口紅」の謎が解けたが、あれあれ? 呉道子は8世紀前半の開元年間のひとで、この流行は9世紀のはじめころである。ということは・・・なるほど、そういうことか。
乃悟唐之俗工作時世粧、嫁名道子、以紿流俗。
すなわち悟る、唐の俗工、時世粧を作し、道子に嫁名して、以て流俗を紿むくなり。
やっとわかった。唐の名も知れぬ画師が、その時代の流行りの化粧で神さまの絵を描き、呉道子の作品と偽って、俗物どもを騙したものなのだ。
それに、蘇洵ともあろうひとがまざまざと乗せられた、ということである。三世紀も経っているからわからなかったのであろう。
星辰不如是也。
星辰はかくの如からざるなり。
星の神さまが、そんな艶めいた化粧をするはずがないのに。
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南宋・費兗「梁渓漫志」巻五より。普通の人の間違いはもちろん、部下や後輩の間違いでさえ発見して指摘すると気持ちいいのに、大文化人の間違いを発見とは、これは気持ちよかったでしょうね。ああ羨ましい。
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