人乃不殺(人すなわち殺さず)(「韓非子」)
最終的には、おれたち助かる?

やせてしまうのはツラいでぶー。
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紀元前の戦国時代のことでございます。
三虱食彘相与訟。
三虱(しつ)、彘(てい)を食らいて相ともに訟(うった)う。
三匹のシラミが、ブタに食いつきながら、互いに何やら論争していた。
ぴょーん、ぴょん。
一虱過之、曰、訟者奚説。
一虱これを過ぎて、曰く、「訟うる者は奚(なに)を説くや」と。
もう一匹のシラミがそこを通り過ぎようとして、訊いた。「何を論争しておるんだね」
三虱曰、争肥饒之地。
三虱曰く、「肥饒の地を争うなり」と。
三匹のシラミが答えた。「うまくて栄養のあるところを誰が吸うか、論争しておるのだ」
一虱曰、若亦不患臘之至而茅之燥耳、若又奚患。
一虱曰く、「若(なんじ)らまた臘の至りて茅の燥(かわ)けるを患(うれ)えざるのみ。若らまた奚(なに)をか患(うれ)えん」と。
一匹の方のシラミが言った。「ふーん。・・・おまえさんたち、臘(十二月八日のお祀り)の日が来て、ちょうどカヤも乾いてよく燃えやすくなることを、心配していないんだな。おまえさんたちは、(その時が来たら)何の悩み事も無くなるぞ」
「臘」(ろう)の日は、古代の狩猟中心時代の名残ともいわれますが、旧暦の12月8日(ということは、我々の一月半ば。寒いよ)に行われる冬祭りです。この日、犠牲のケモノを捧げて一年の無事を祖先神に感謝し、来たるべき年の豊穣を祈ります。我が国でも同じ日を「コト八日」と言って、冬の物忌みの始まりの日としています。
要するに、通りがかりのシラミは、このブタは「臘」の日の犠牲獣になるんだから、どこがうまいとか豊饒とか言っててもしようがないぞ、というのです。
「なるほど」
於是乃相与聚、嘬其身而食之。
ここにおいて、相ともに聚まり、その身を嘬(す)いてこれを食らう。
これを聞いて、シラミたちはともに集結し、協力してブタの血を吸って食った。
四匹目も一緒になって、とにかく吸える間に吸おうということです。
みんなで一生懸命吸ったので、
彘臞、人乃弗殺。
彘臞(や)せ、人すなわち殺さず。
ブタは痩せてしまい、ひとびとは「これでは神がみへの犠牲にはならない」といって、(別のブタを選んだので)このブタは殺されなかった。
なんと、ハッピーエンド?
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「韓非子」説林篇より。よかったなあ。みんなシアワセになって。めでたし、めでたし・・・という読解でいいのでしょうか?
たくまずしてこの章の解説になっているような名文があったので載せておきます。
・・・井上君(甚太郎。讃岐の人なり)もまた余と同一の妄想を懐きし人なり。即ち貴官大職にあるの人、及び代議士政党員の如きは、身家の利益のほか少しは国家とか人民とかの意象を脳中に蓄ふると信ぜし人なり。而して今如何。これ純然たる妄想たりしなり。
而してこれ洵(まこと)に彼輩の智にして、吾人の愚なるなり。何となれば国家なる者はともかくも大物(だいぶつ)なり。その衰亡するまでには幾多個人の犠牲に供して余りあり、しかれば則ち国家を犠牲にして自ら益するにおいて復た何ぞ憚るを用ゐん。人民とは何ぞや。無智なる農夫最も多きに居る、これ天まさに優勝劣負(ゆうしょうれっぷ)の大理に因て、他の智者の利益に供せられるべき物体にあらざる乎(か)。
ああ今の貴官大職、代議士政党員は直ちにこれ啖人鬼(たんじんき)といふべきなるのみ。わが日本帝国の如き智者の啖食に供して、果たしていくばく年所を延るを得べき乎(か)。
あと何年もつであろうか、と言ってます。もちろん、これに◇団連とか広●代理店とか新自◎主義の評論家とか、いろいろ加えてください。「啖人鬼」のみなさんは、一回食いつくして、バブルでも食って、また食ってるんですよね。
ちなみに上の文章は本朝・中江兆民「一年有半」(明治34年)より。近代日本でこんなにいい文章(和漢欧の見事な混合品)書ける人ほかにいません。「天まさに優勝劣負の大理に因りて」という進化論を翻訳した漢語の使い方の見事さをご覧ください。自己責任とか新自由主義とかの根幹を東洋的知性の皿の上に広げて、腹が減ってるなら食ってみろ、と言わんばかりの美味さ(巧さ)です。作ってから120年経っているのに、いまだ新鮮でしゃりしゃりしてます。ああ、美味い。
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