10月10日 今では体育でもなく目だけに

男子通称(男子の通称なり)(「梁渓漫志」)

女子ではないのです。

「わたしたち女の子も変成男子になれば成仏できるかもよ!」←これはマズい。あわわわ。取り消しです。取り消しましたからね。

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昨日、「子墨子」を「墨子先生」と訳しました。「墨先生先生、と訳さなくていいのか」という疑問はありませんでしたか。ありませんか。なくていいんです。

子者、男子之通称。若文字間称其師、則曰子某子。

復冠子字于其上者、示特異于常称、曰吾所師者、則某子云爾。

例えば、「列子」で門人たちが列御寇のことを「子列子」と呼んだり、「春秋」公羊伝の筆者たちが自分たちの師匠を「子公羊子」と呼んだりしている。

また、隠公十一年の公薨条の公羊伝に

子沈子曰、君弑、臣不討賊、非臣也。不復讐、非子也。

という有名な伝がある(こちらも参照)が、その後漢・何休の注にいう、

子沈子、後師。沈子称子冠氏上者、著其為師也。不但言子曰者、辟孔子也。其不冠子者、他師也。

と。

へー、そうなんだ。

なお、清代になるとこの何休注は「公羊学派」のみなさんの必読の書になって大人気になりますので、清代に知識人として遇されたい人は読んでおかないといけません。ただ、これを見ると、後ろにつけた「子」も「先生」の意だと言ってますので、何休注は「子は男子の通称」とは言い切ってないように見えますね。

しかし、

陳後山以南豊弁香、称以子曾子、蓋用此法。

いっぽう、

劉夢得自為伝、乃加子于上者、非是。而今人承其誤、亦多以自称、或称其朋友、皆失之矣。

なのだそうです。

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南宋・費兗「梁渓漫志」巻五より。というわけで、「子墨子」は「墨子先生」と訳して間違いないんです。また、肝冷斎が自分のことを「子肝冷子」というのはおかしいんです。「肝冷子」ぐらいなら「男子の通称である」と言い張れば間違いでないかも。いや、ジェンダー的にマズいかも知れないので、止めておこうっと。ふうふう、このナマスはアツモノではなさそう・・・かな? どこでどう炎上するかわからんぞ。

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