古墓為田(古墓田と為る)(「寒山集」)
なんとかなる、かも知れないと思って「なんとかなる」を見たら、やっぱりかなりシゴトしないと「なんとかな」らないみたいなことが書いてありました。シゴトせずになんとかならないものでしょうか。人間はどんどんこの世からいなくなってしまうのに、わたしはいつまでも生きる気でこんな毎日を送っているのだろうか。

二宮先生は年をとられてからもいわゆる各地の財政を再建し、産業を新興するため、禁欲的に働かれたとう。そんなこと、「やる気」がないとできません。
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唐の時代のことですが、
徒閉蓬門坐、頻経石火遷。
徒らに蓬門を閉ざして坐し、頻りに石火の遷るを経たり。
草ぶきの門を閉ざして、むなしく家の中に座っているうちに、石と石の間に火花が散るようにあっという間に過ぎゆく時が、どんどん過ぎていった。
ああ、やる気ないなあ。
唯聞人作鬼、不見鶴成仙。
ただ人の鬼と作(な)るを聞くも、鶴の仙と成るを見ず。
その間に、いろんな人が心霊世界に旅立って行ったのは、この耳で聞いたが、いまのところ、修行して鶴になって仙界に飛んで行ったひと(王子喬や張道陵のような)は、この目で見たことがない。
虚無的ですなあ。
念此那堪説、隨縁取自怜。
此れを念(おも)はば那(な)んぞ説くに堪えんや、縁に随いて自ら取りて怜(あわ)れむ。
このことを考えると、なにも言えなくなってしまう。因縁に随って自分で自分を憐れんでいよう。
さて、
廻瞻郊郭外、古墓犂為田。
郊郭の外を廻り瞻ば、古墓犂かれて田と為れり。
城外に出て一周見物してくると、古い墓のあったところは、もうウシの曳くスキによって水田に替ってしまっているなあ。
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「寒山集」より。「寒山集」には、どんなときでも我が心にフィットする詩が入っています。心の糧ですね。原始生物のようなべん毛によるブラウン運動のような毎日をやめて、もっと自発的・前向きな日々を送りたいなあ、と何十年。だが前向きによる緊張感には耐えられないからダメだ。テレビも無いので、スポーツから力をもらうこともできない。また明日もブラウン運動か。
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