8月7日 なんとかなる、かもしれない、だがしかし

古墓為田(古墓田と為る)(「寒山集」)

なんとかなる、かも知れないと思って「なんとかなる」を見たら、やっぱりかなりシゴトしないと「なんとかな」らないみたいなことが書いてありました。シゴトせずになんとかならないものでしょうか。人間はどんどんこの世からいなくなってしまうのに、わたしはいつまでも生きる気でこんな毎日を送っているのだろうか。

二宮先生は年をとられてからもいわゆる各地の財政を再建し、産業を新興するため、禁欲的に働かれたとう。そんなこと、「やる気」がないとできません。

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唐の時代のことですが、

徒閉蓬門坐、頻経石火遷。

ああ、やる気ないなあ。

唯聞人作鬼、不見鶴成仙。

虚無的ですなあ。

念此那堪説、隨縁取自怜。

さて、

廻瞻郊郭外、古墓犂為田。

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「寒山集」より。「寒山集」には、どんなときでも我が心にフィットする詩が入っています。心の糧ですね。原始生物のようなべん毛によるブラウン運動のような毎日をやめて、もっと自発的・前向きな日々を送りたいなあ、と何十年。だが前向きによる緊張感には耐えられないからダメだ。テレビも無いので、スポーツから力をもらうこともできない。また明日もブラウン運動か。

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