不得兼求(兼ねて求むるを得ず)(「風土記」)
カネ、長寿、子ども。どれにしますかね。

ひこ星は本来必要とされていない。
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今日は七月七日だが、旧暦かと思うほど暑かった。
肝冷斎は新暦ではないのですが、今日は旧暦でもいいぐらいだったので、七月七日の話をします。
晋の時代、江南地方では、
七月七日其夜灑掃于庭、露施几筵、設酒脯時果、散香粉於河鼓織女。
七月七日、その夜、庭に灑掃して、几筵を露施し、酒脯・時果を設け、香粉を河鼓・織女に散ず。
七月七日の夜には、家の中庭を掃き、水を撒いて清める。露天にムシロを敷いて机を置き、その上にお酒と干し肉、それに季節の果物を供え、それから河鼓星と織女星に向けて、香り草の葉を粉末にしたものを撒きかける。
あれ? 河鼓って何? ひこ星は?
と思ったかも知れませんが、男の子は無視されていたのです。だいたい牽牛・織女は男女のおれたち労働人民を代表する星だが、過去においては織女の生産する布は貨幣同様に扱われた重要品だったから、支配者側から見れば織女だけが重視され、牛飼いの童はあとで付け足しで十分だったのでしょう。
言此二星神当会。守夜者、咸懐私願。
これを二星神当会と言う。守夜する者は、みな私願を懐く。
この祭を「二つの星神の会合」といい、徹夜でこの祭に参加する者は、それぞれひそかな願い事を持つことになっている。
或云見天漢中有奕奕正白気有耀五色、以此為徵応。
或いは云う、天漢中に奕奕たる正白気の五色に耀く有るを見れば、これを以て徵応と為す。
「奕奕」(えきえき)は光り輝くさま。「ぴかぴか」。「白気が五色に輝く」というのは語義矛盾、はい論破、と言いたいひともいるかも知れませんが、素直に昔の人にはそう見えたんだ、と思って読んでください。あなたが思うとおり、昔の人はおろかであわれな存在ですから、そう見えたんですよ。
ある説によれば、天の川の中にぴかぴかと光る真っ白な気体(のようなもやもやした部分)があるが、それが五色(赤白黄青黒)に輝くように見えたら、願い事がかなうしるしなのだ、と。
むかしの人はおろかですね。あはは、いひひ、おほほ、あわれだわね、と笑ってやってください。
見者便拝而願乞富、乞寿、無子乞子。唯得乞一、不得兼求。
見る者はすなわち拝して願うに、富を乞う、寿を乞う、子無くして子を乞う。ただ一を乞うを得、兼ねて求むるを得ず。
これを見た者は、すぐにその光に礼拝して、心の中で願い事をするのだ。願い事は、財産を得たい、長寿をさずかりたい、子どもが無いので子どもが欲しいの三つなのだが、ただそのうちの一つを願う。二つ以上を願うことはできないのだ。
これが「五色の短冊」のもともとの姿だったのです。
三年乃得。言之頗有受其祚者。
三年すなわち得。これを言うに、頗るその祚を受くる者有り、と。
願い事は三年以内にかなう。その幸福を受けた者はたいへん多い、とみな言っている。
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晋・周処「風土記」より(「天中記」巻五所収)。数日前、短冊に何か「夢を書け」、と言われて願い事や欲望ならまだしもあるのですが、「夢」なんか無いので、「欣求浄土」と書こうかな、と思いましたが、悩んだ末、最後は正直に「夢はありません」と言って何も書きませんでした。書いておけば、三年にしてすなわち得ることができたかも。おそろしい戦国大名の支配を逃れる地上の千年王国が築けたかも知れません。
著者の周処は三国から晋にかけての武人兼文人です。彼が当時開発が進みつつあった江南地方の風俗や地理について整理編集したのが「風土記」です。後に同名の書物がたくさん作られたので、特に彼の「風土記」を「陽羨風土記」とか「周処風土記」といいます。我が国で八世紀に編纂された「風土記」ももちろんこの書の名を借用したものです。ということで、三世紀ごろのひとたちは七月七日(新暦だと八月の中旬ぐらいの季節感でしょうか。かつ、月は上弦の半月、夜半には沈む夜)にこんなことをしていたんです。それが回り回って、今みなさんがしているソレになったんです。自分たちが東アジアのおろかな人たちの精神を引き継いでいることを自覚しましょう。

平塚七夕祭だ。このハレー彗星みたいなものは民俗学でいう「梵天」ですよね。
なお、「天中記」は明の陳耀文が編んだ「類書」(百科事典みたいな本)。
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