従田従衣

↑田んぼの無いやつは捕まるかも

忘れたり、躓いて転んだり、鼻水を垂らしたり、ぐらいならいいのですが、駅や電車の中での独り言、ズボンのファスナーの締め忘れなど、だいぶん老いてまいりました。

まあしようがないか。

・・・宋の時代のことです。

若いころ、おやじと夜話をしていた。おやじが言うには、

人生不可無田。有則仕宦出処自如、可以行志。

(人生、田無かるべからず。有ればすなわち仕宦するも出処自如として、以て志を行うべし。)

人間として生まれたからには、田んぼを所有して地主にならないわけにはいかんだろう。もし田んぼがあれば、たとえ役人になろうとしても、勤めるのも辞めてしまうのも自分勝手、やりたいようにやれるのだ。

―――ほう。

不仕則仰事俯育、麤了伏臘、不致喪失気節。

(仕えざればすなわち仰ぎて事え俯して育み、伏臘に麤了たるも気節を喪失するを致さず。)

「伏」は六月、酷暑の季、「臘」は十二月の年末、「伏臘」で「夏と冬の祭祀」。ゲンダイ日本的にいえば、年が明けてしまいますが「盆と正月」のことです。「麤」(そ)は「粗」と同じ。

たとえ仕官しなくても、上は親に尽くし、下は子孫を養うことができ、たとえ盆や正月に(仕官して給料をもらってないので)粗末な用意しかできなくても、(借金したり他人に世話になって)自立した気概を失わないですむ。

―――なるほど。

「だいたいじゃなあ」

とおやじが言うには、

有田方為福。蓋福字従田従衣。

(田有ればまさに福と為す。けだし、福字は田に従い衣に従うなり。)

田んぼがあるのは、それだけで「福」なんか。ようく見てみろ、「福」の字には、「田」と「衣」があるじゃろう。(衣も麻や桑が無ければ作れない。)

ちょっと酔っぱらってる感じがあっていいですね。

「説文解字」以来、「福」の右側の「畐」(ふく)は酒甕を横から見たところ、と解されているので「田」だけで意味はなさない・・・のは承知の上で説教を垂れている感じです。

ああ。
雖得此説、三十年竟無尺土帰耕。老而衣食不足、福基浅薄、不亦宜乎。

(この説を得るといえども、三十年ついに尺土の帰耕する無し。老いて衣食足らず、福基の浅薄なるもまた宜(むべ)ならずや。)

この話を聞いてから、あっという間に三十年だ。この間、とうとう帰って耕すべき一尺の土地も持てなかった。わしも老いてきて、衣服にも食べ物にも不自由するようになってきたが、「福」の基盤が浅薄なのだ、仕方のないことであろう。

と、諦めましょう。

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宋・周煇「清浪雑志」より。おやじに言われたとおり土地を買って成功者になってたらイヤでしたが、失敗者だったのでほっとしました。それにしても、「一と口」はどこに行ったんや、と問いたいところですね。(2023.2.8)

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