天下狂惑(天下狂惑せり)(「読通鑑論」)
天下が狂惑してしまうとどうすればいいのでしょうか。

H2ロケット打ち上げ成功!若い人がしっかりやってくれてうれしいのう。わしはもう朽ちていくばかりですじゃがいも。
・・・・・・・・・・・・・・・
唐の会昌五年(845)、武宗皇帝は詔して、寺院四万を毀損し僧尼26萬500人を還俗せしめた。仏教史に云う、いわゆる「会昌の法難」であります。しかし、
後世有天下者、欲禁浮屠之教以除世蠧也、良難。
後世に天下を有(たも)つ者、浮屠(ふと)の教を禁じて以て世の蠧(と)を除かんとするや、まことに難し。
(古代ではなく)中世以降の天下の権力を握った人物が、仏教を禁じて世の中の害虫を除去しようとしても、ほんとうに困難である。
「浮屠」は「浮図」と同じで「ふと」と読み、「仏」(ぶつ)や「仏陀」(ぶっだ)の別訳です。「蠧」(と)はキクイムシ。白アリみたいに土台から食い腐らすムシです。みなさんのことではない・・・かも知れないかも知れない。
結局、会昌の法難も、
不数年而浮屠転盛、禁之乃以激之而使興。故曰難。
数年ならずして浮屠転じて盛んとなり、これを禁ずるはすなわちこれを激するを以て興らしむ。故に難しと曰えり。
数年も経たないうちに仏教はまたまた盛んになりはじめた。あるものを禁止すると、禁止された方は激しくそれを求めるので、勃興させることになってしまうのだ。だから、困難だ、というのである。
武宗皇帝は、
聴道士趙帰真之説而闢仏、以邪止邪、非貞勝之道、固也。
道士・趙帰真の説を聴きて仏を闢さんとす、邪を以て邪を止むは貞勝の道に非ざること、固よりなり。
道士の趙帰真というやつの提言を受け入れて、仏教徒に(自分たちの非を)理解させようとした。つまり、邪悪な宗教である道教の教えに従って邪悪な仏教をやめさせようとしたのだから、正義不敗の方向性はなかった、(だから失敗したのだ)というのが基本のところである。
未幾而武宗崩、李徳裕逐、宣宗忌武宗君相而悉反其政。浮屠因縁以復進、其勢為之也。
いまだ幾ばくならずして武宗崩じ、李徳裕逐われ、宣宗は武宗君相を忌みて悉くその政を反す。浮屠因縁して以てまた進む、その勢これが為なり。
それほど経たないうちに武宗皇帝は崩御され(翌会昌六年3月)、宰相で実務を仕切っていた李徳裕は左遷された。後を継いだ宣宗皇帝は、武宗皇帝とその宰相のやったことを嫌い、その政策をすべてひっくり返してしまったから、仏教はそれを機会にまた盛んになった。その方向性をつけたのはこれ(政権の交代)が理由である。
雖然、仮令武宗永世、徳裕安位而行志、又豈可以挙千年之積害、一旦去之而消滅無余哉。
しかりといえども、たとい武宗世を永くし、徳裕位に安んじて志を行うも、また豈(あに)以て千年の積害を挙げて、一旦これを去りて消滅し余り無からしむべけんや。
しかしながら、もしも武宗皇帝がもう少し長生きし、宰相の李徳裕が安定して、やりたいことをやったとしても、仏教伝来(二世紀とされます)以来の千年近い期間に積もった害悪をごっそりと、ある日すべて取り去って残り無く消滅させてしまうことができたであろうか。(できたはずがない。)
何故でしょうか。
以一日矯千年之弊、以一君一相敵群天下狂惑氾濫之情、而欲剷除之無遺、是鯀之陻洪水以止其横流、卒不能勝者也。
一日を以て千年の弊を矯め、一君一相を以て群天下の狂惑・氾濫の情に敵し、これを剷除して遺り無からしめんと欲するは、これ鯀(こん)の洪水を陻して以てその横流を止めんとするにして、ついに勝つ能わざるものなり。
ある日突然千年閒の弊害を改め、一代の皇帝と一代の宰相だけで、天下に群れる人々の狂い、惑い、氾濫する感情に敵対して、それらを雑草を刈るように残り無く除去しようとしても、それは古代の有力者・鯀(こん)が、黄河の洪水を治めるためにその流れを止めようとして(堤防が決壊して)失敗したように、最終的には勝てるはずがなかったことなのである。
「鯀」(こん)は、「書経」や「孟子」に出て来る神話上の人物で、舜帝に命じられて洪水を治めようとして水の流れを押しとどめようとして失敗し、処罰されてしまった。その息子が「禹」(う)で、父の仕事を継ぎ、水が流れたい方に流れさせて水位を下げることによって洪水を治めることに成功し、舜の跡を継いで王となったらしいんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・
清・王船山「読通鑑論」巻二十六「武宗」七より。「読通鑑論」は、清初の三賢者の一人、船山先生・王夫之が、「資治通鑑」を読んで気の付いたことをエッセイ風に書き綴った史論書です。当時としては極めて斬新な論が多かったのだと思います。だが、今読むと「何言うとるんや、このおじいちゃん」という気もしてまいります。わたしの書いていることも若い人が読んだら(読んでないからいいのですが)同じように思われているのかのう。・・・もちろん、おもしろいはずはないのですが、ガマンしてこんなのも読まないと修行にならないので時々読んでおります。
上述のように、仏教を禁じるのはたいへん難しいんです。ではどうすればいいのか。
さらに読み進んで行くと、船山先生は次のように言うておられる。
禁其為僧尼、則傲岸而不聴、含怨以図興。
その僧尼たるを禁ずれば、すなわち傲岸として聴かず、怨みを含んで以て興るを図らん。
僧や尼になるのを禁止すれば、かれらは誇り高そうに振る舞って言うことを聴くはずはなく、怨みの感情を懐いて、いつかは再興しようと企図するであろう。
これに対して、禹が流れたい方に水を流して洪水にならないようにしたのと同じことを考えればよいのだ。
弗禁其僧、而僧視耕夫之賦役、弗禁其尼、而尼視織女之縷征。無所利而徒苦其身、以茹草而独宿、未有不翻然思悔者。
その僧たるを禁ぜず、僧も耕夫の賦役に視(なら)わしめ、その尼たるを禁ぜず、尼も織女の縷征に視わしむ。利するところ無くしていたずらにその身を苦しめ、以て草を茹で独宿せば、いまだ翻然として悔いを思わざる者有らざらん。
僧になりたいやつは僧にさせる。ただし、農夫と同様の収穫物からの納税(租)と労働奉仕(庸)をさせる。尼になるたいやつは尼にさせる。ただし、織婦と同様に糸繰や布を織ってその生産物を納めさせる(調)ことにする。僧尼になっても何も経済的に利益が無く、修行などで無駄に身体的に苦しむだけで、肉食せずに草を茹でたものばかり食い、男女の交わりを絶って一人で寝る生活となれば、いっぺんにひっくり返って(出家したことを)後悔しない者はいない(つまり、後悔する者ばかりである)ことになるであろう。
徒衆不依、而為幽眇之説、弔詭之行者、亦自顧而少味。
徒衆に依らず、而して幽眇の説、弔詭の行を為す者は、また自ら顧みて味少なしとせん。
まわりに信者もいない中で、かすかな世界の学説、論理を越えた行動を取っているうちに、自己反省してこれではいいことはない、と思うわけだ。
うっしっし。うまくいくではありませんか。
かえりみて、
先王之不禁天下之巫、而不殊於四民之外、以此而已。
先王の天下の巫を禁ぜず、しかるに四民の外に殊にせざるは、ここを以てするのみ。
古代の賢王たちが、当時、シャーマンを禁じることはなかったこと、しかし、シャーマンを士農工商のいずれかの身分に分類して特権を与えなかったことの意義は、この点にあったことがわかるであろう。
最初の問題意識(仏教を禁じて世の中の害虫を除去しようとするのは、ほんとうに困難である)に戻ります。
然則有天下而欲禁浮屠以一道徳、同風俗者、亦何難之有哉。
然ればすなわち天下を有ちて浮屠を禁じ、以て道徳を一にし、風俗を同じうせんと欲する者は、また何ぞ難きことのこれ有らん。
こういうふうにすれば、天下の権力を握っている者が仏教を禁じて、道徳を一元化し、生活態度を同質化しようとした場合も、どこに困難があるであろうか。(いや、無い。)
宗教法人にも税金かければいい、ということになってしまったみたいですよ。ほんとかなあ。