9月8日 何の因縁でこんなものを読んでるのか

天下狂惑(天下狂惑せり)(「読通鑑論」)

天下が狂惑してしまうとどうすればいいのでしょうか。

H2ロケット打ち上げ成功!若い人がしっかりやってくれてうれしいのう。わしはもう朽ちていくばかりですじゃがいも。

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唐の会昌五年(845)、武宗皇帝は詔して、寺院四万を毀損し僧尼26萬500人を還俗せしめた。仏教史に云う、いわゆる「会昌の法難」であります。しかし、

後世有天下者、欲禁浮屠之教以除世蠧也、良難。

「浮屠」は「浮図」と同じで「ふと」と読み、「仏」(ぶつ)や「仏陀」(ぶっだ)の別訳です。「蠧」(と)はキクイムシ。白アリみたいに土台から食い腐らすムシです。みなさんのことではない・・・かも知れないかも知れない。

結局、会昌の法難も、

不数年而浮屠転盛、禁之乃以激之而使興。故曰難。

武宗皇帝は、

聴道士趙帰真之説而闢仏、以邪止邪、非貞勝之道、固也。

未幾而武宗崩、李徳裕逐、宣宗忌武宗君相而悉反其政。浮屠因縁以復進、其勢為之也。

雖然、仮令武宗永世、徳裕安位而行志、又豈可以挙千年之積害、一旦去之而消滅無余哉。

何故でしょうか。

以一日矯千年之弊、以一君一相敵群天下狂惑氾濫之情、而欲剷除之無遺、是鯀之陻洪水以止其横流、卒不能勝者也。

「鯀」(こん)は、「書経」や「孟子」に出て来る神話上の人物で、舜帝に命じられて洪水を治めようとして水の流れを押しとどめようとして失敗し、処罰されてしまった。その息子が「禹」(う)で、父の仕事を継ぎ、水が流れたい方に流れさせて水位を下げることによって洪水を治めることに成功し、舜の跡を継いで王となったらしいんです。

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清・王船山「読通鑑論」巻二十六「武宗」七より。「読通鑑論」は、清初の三賢者の一人、船山先生・王夫之が、「資治通鑑」を読んで気の付いたことをエッセイ風に書き綴った史論書です。当時としては極めて斬新な論が多かったのだと思います。だが、今読むと「何言うとるんや、このおじいちゃん」という気もしてまいります。わたしの書いていることも若い人が読んだら(読んでないからいいのですが)同じように思われているのかのう。・・・もちろん、おもしろいはずはないのですが、ガマンしてこんなのも読まないと修行にならないので時々読んでおります。

上述のように、仏教を禁じるのはたいへん難しいんです。ではどうすればいいのか。

さらに読み進んで行くと、船山先生は次のように言うておられる。

禁其為僧尼、則傲岸而不聴、含怨以図興。

これに対して、禹が流れたい方に水を流して洪水にならないようにしたのと同じことを考えればよいのだ。

弗禁其僧、而僧視耕夫之賦役、弗禁其尼、而尼視織女之縷征。無所利而徒苦其身、以茹草而独宿、未有不翻然思悔者。

徒衆不依、而為幽眇之説、弔詭之行者、亦自顧而少味。

うっしっし。うまくいくではありませんか。

かえりみて、

先王之不禁天下之巫、而不殊於四民之外、以此而已。

最初の問題意識(仏教を禁じて世の中の害虫を除去しようとするのは、ほんとうに困難である)に戻ります。

然則有天下而欲禁浮屠以一道徳、同風俗者、亦何難之有哉。

宗教法人にも税金かければいい、ということになってしまったみたいですよ。ほんとかなあ。

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