尚欠其一(なおその一を欠く)(「中呉紀聞」)
たくさん足りないと、「まあいいか」とあまり気にならないのに。

みなさんが思っているよりも、ぶたは人間社会に入り込んでいるものなのだ。
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北宋の時代、楊州に萬寿寺というお寺があってそこには「禅月閣」という建物があった。
これは「禅月さま」という人が住んでいたからで、
禅月者唐僧貫休也。
禅月なる者は、唐僧・貫休なり。
禅月さまと言われていたのは、唐代の僧侶・貫休さまだ。
禅月貫休禅師は、貧しい一般人民の出身で、自分で髪を剃って出家したということだが、天下の名僧をめぐって禅を叩きこまれた。また詩文を能くし、「西岳集」という全集がある。
このひと、
性好図画古仏、嘗自夢得十五羅漢梵相、既而尚欠其一。
性として古仏を図画するを好み、嘗て自ら夢に十五羅漢の梵相を得るも、既になおその一を欠く。
常日頃から昔の覚者たちの肖像を描くのが大好きだった。ある時、夢の中で十五人の羅漢さまのインド風の姿を見て習得したが、それでも一人足りなかった。
仏教では、修行者の姿で像が造られる「羅漢」は十六人いる(「十六羅漢」)ことになっているのですが、十五人までしかできませんでした。「羅漢の画を描いてくれ」「へい」と言って描いていたなら、このままでは契約違反です。なお、「羅漢」(らかん)はサンスクリットの「あらはっと」(覚れる者)の音訳。
「困ったなあ」
未能就、夢中復有告之、曰、師之相乃是。
いまだ就く能わざるに、夢中にまたこれに告ぐる有りて曰く、師の相すなわち是なり、と。
あと一人!で完成できないでいると、夢の中でまた誰かが語り掛けて来た。
・・・和尚、おまえさんの姿が、それじゃ。
目を覚まして、
遂如所告、因照水以足之。
遂に告ぐるところの如く、因りて水に照らして以てこれに足をす。
そこでとうとう教えられたとおり、水面に自分の姿を映してこれを写生した。水面には腰から上しか映せなかったので、その絵にちょいちょいと足をひっつけて、完成させた。
ヘビだったら足をひっつけると蛇足ですが、インド人的な風貌をしていたんでしょう。
今其画尚伝。
今その画なお伝う。
その画は、今も遺されている。
どんな風貌をしていたか見てみたいものですが、宋の時代からさらに900年経ちましたから、もう遺っていないでしょう。
禅月和尚は、
既至呉、寓迹萬寿甚久。後入蜀死、葬于成都。
既に呉に至り、万寿に寓迹すること甚だ久し。後に蜀に入りて死し、成都に葬らる。
その後、我が楊州にやってきて、万寿寺の住職になって住み着いてから、ほんとうに長い間そこで暮らしていた。
百年、とも、いや百二十年、ともいう人がいたが、
後、四川に行ってそこで死んだ、というので、四川の省都・成都で葬式を挙げたそうである。
それも本当かどうかわかりません。
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宋・龔明之「中呉紀聞」巻三より。キャラクターを一度に何人(この場合16人)も考えるのは難しいので一人思いつかなかったのでしょう。それにしてもこの和尚がインド風の風貌でなく、もしもブタ人間だったら十六羅漢にもブタ羅漢がいたことになったのかと思うと、写実主義も困難を含んでいるのかも知れません。