9月6日 空っぽにするのも難しい

頭容少偏(頭容少しく偏せり)(「小学」)

秋になってきましたので、そろそろ心だけでも入れ替えるか。

心入れ替えないと頭直されるカモ。へのカッパだが。

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宋の徐仲車は胡安定先生のところで学んだ。

潜心力行、不復仕進。其学以至誠為本、事母至孝。

その徐仲車が晩年、こんなことを言っています。

初見安定先生、退、頭容少偏。安定忽厲声云、頭容直。

その声にキモをつぶして、それ以来、いつも頭の姿勢を正すようにしています。

某因自思。

不独頭容直、心亦要直。

と。

自此不敢有邪心。

尊敬に値しますよね。

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宋・朱晦庵編「小学」外篇・善行第六より。はじめてこの文章を読んだとき、頭蓋骨が歪んでいるのを叱られた、叱られたら頭蓋骨が治った、というすごい話かと思ったのは、もう三十五年ぐらい前です。その後、林泰輔先生の注を読んで、はじめて「頭容」は、「頭の形」ではなく「頭の姿勢」のことだ、ということがわかり、普通のことだったことがわかってほっとしたのが、今、メモをチェックしてたら令和元年のことですね。

平成の間ずっと誤っていたのです。

姿勢は何とかなりそうだし、頭蓋骨の形でもがんがん叩けばなんとかなるかも知れませんが、中身直せと言われるとお手上げですね。

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