頭容少偏(頭容少しく偏せり)(「小学」)
秋になってきましたので、そろそろ心だけでも入れ替えるか。

心入れ替えないと頭直されるカモ。へのカッパだが。
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宋の徐仲車は胡安定先生のところで学んだ。
潜心力行、不復仕進。其学以至誠為本、事母至孝。
力行に潜心してまた仕進せず。その学は至誠を以て本と為し、母に事(つか)えて至孝なり。
理屈ではなく行動に務めることに心をひそめて、二度と役人になろうとはしなかった。彼の学問は誠意を尽くしきることを根本とし、母親の世話をしてたいへん親孝行でも有名であった。
その徐仲車が晩年、こんなことを言っています。
初見安定先生、退、頭容少偏。安定忽厲声云、頭容直。
初めて安定先生に見(まみ)えて、退くに、頭容少しく偏す。安定、たちまち厲声に云う、「頭容直なれ」と。
安定先生に初めてお目見えして弟子にしてもらったとき、退出しようとして頭の姿勢を少し傾けた。すると、安定先生は、突然でかい声を出して、言った。
「頭を真っすぐにせんか!」
その声にキモをつぶして、それ以来、いつも頭の姿勢を正すようにしています。
某因自思。
某、因りて自ら思う。
わたし(徐仲車のことです)は、そこで一人、つらつら考えてみた。
不独頭容直、心亦要直。
独り頭の容直きのみならず、心もまた直きを要むるなり。
頭の姿勢が真っすぐであればいいだけではなく、心もまた真っすぐでなければいけないのではないか。
と。
自此不敢有邪心。
これより、敢えて邪心有らず。
それ以降、わたしはよこしまな心、人に言えない思いを持つことは無くなりました。
尊敬に値しますよね。
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宋・朱晦庵編「小学」外篇・善行第六より。はじめてこの文章を読んだとき、頭蓋骨が歪んでいるのを叱られた、叱られたら頭蓋骨が治った、というすごい話かと思ったのは、もう三十五年ぐらい前です。その後、林泰輔先生の注を読んで、はじめて「頭容」は、「頭の形」ではなく「頭の姿勢」のことだ、ということがわかり、普通のことだったことがわかってほっとしたのが、今、メモをチェックしてたら令和元年のことですね。
平成の間ずっと誤っていたのです。
姿勢は何とかなりそうだし、頭蓋骨の形でもがんがん叩けばなんとかなるかも知れませんが、中身直せと言われるとお手上げですね。