9月5日 ごろごろ読んでるとときどき

海萍雲鳥(海の萍、雲の鳥)(「秋水軒尺牘」)

漢文読んでるとほんとに時々、「あっ、なんだこれ? かっこいいのでは」というようなコトバに出会うもので、朝礼や受験には関係ないのであほらしいとは思うものの、ご紹介したくなりますね。わたしどもあほうどりは阿呆なので、いつまでも海の青、空の青にも染まず漂っているのです。賢いとうまく染まれたんでしょうけど・・・。みなさんはどうですか。

なかなか通り過ぎていかないけれど、すぐまた来てくれる台風くん。明日は南大東に来るぞ。

・・・・・・・・・・・・・・・

突然ですが、今日はこんなコトバです。

海萍雲鳥、聚散無端。

五代・南唐の後主・李煜の詞にいう、

別時容易見時難。

と。そのとおりの人生で、おまえさんとも長く会えない日が続いている。

毎憶高情、輒深悵惘。即辰起居納祜、不煩贅頌。

「悵」は「うらむ、つらむ、嘆く」、「惘」は「ぼんやりしてしまう」。「即辰」の語がよくわからないのですが、「起居」につながって、「毎日」「日常」の意ではないかと解釈しました。

こちら、

献邑政務紛繁、僚幕未免交瘁。且年来民習俗弊正如張長史論書、不無古肥今痩之異。

この人は、河北・献県の役人として幕僚(スタッフ)を何人か連れて赴任しているようです。

では、元気にしててくださいね。(以上)

「張長史論書」とは、「張長史十二意筆法記」のことで、これは唐の顔真卿が張旭から教えられた筆法の極意を記録したものということです。顔真卿は名筆家というだけでなく、安禄山の乱での後方攪乱をはじめ乱世に書した忠臣として名高いですね。張旭は、杜甫の「飲中八仙歌」に出て来る草書の名人で、三杯の酒を飲んでから筆を揮えば雲か烟のような字を書いた、その際、王侯貴族の前でも礼節にこだわらず、冠をかぶらなかったという。なお、「長史」は、彼が左率府(宮中警備隊)の長史(庶務課長)をしていたので称号みたいに使われています。

で、その「張長史十二意筆法記」に、

王献之古肥、張旭今痩。

かように、書法の流行は、むかしと今で違うのじゃ。

と書いてあるのを引用しています。

むかしデブだったひとが今は痩せている、という意味ではありません。

・・・・・・・・・・・・・・・

清・許葭村「秋水軒尺牘」161条「復牛雲洋」(牛雲洋に復す)より。「秋水軒尺牘」は、清の名文家・許葭村先生の珠玉の手紙文集です。海の浮き草、雲の中の鳥、という譬喩がオモシロくて引用してみました。

なお、文中の「別時容易見時難」は、李煜「浪淘沙」(ろうとうさ)という詞ですが、これは「浪淘沙」(なみが砂を淘いでいるね)という歌に合わせた「詞」という意味で、題名と内容にはそんなに関係がありません。この詞は南唐国が降伏して、南京から開封に連れていかれるときに作った千古の名篇といわれる詞です。むかしもご紹介しているはずですが、何回引用してもかっこいいので、今日はサビの部分だけ引用しておきます。

無限江山、別時容易見時難。流水落花、春去也。天上人間。

うーん。いいね。マンダム。

ホームへ
日録目次へ