9月26日 フラッシュバックに襲われるよ

汗下流背(汗下りて背に流る)(「啁啾漫記」)

単に暑かっただけかも知れませんが。

お魔女のクスリで自分が変えられればなあ・・・。

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戊戌政変(1898)の後、光緒帝は西太后によって軟禁状態になり、臣下との連絡も自由に出来ず、つねに太后の監視下に置かれておられました。西太后という人も情の深い人ですから、この聡明な甥を決して憎んではいなかった側面もありますが、光緒帝はほとんど孤立してしまい、とにかくすごい緊張した関係だったみたいです。

その後、義和団の変(1900)の際、西太后は「扶清滅洋」を唱える義和団とともに西洋諸国(日本を含む)と戦おうとして宣戦布告します。しかし、義和団が連合軍に負けると、大臣らに責任を投げ出して北京を逃げ出し、長安に避難してしまいました。光緒帝も連れて行かれたので、主役は西太后なんですが、これを「光緒西狩」といいます。

光緒帝が西の方に狩に行った―――という意味です。

帝はもともと西太后の外交政策に反対だったようですが、宮廷内には誰も帝に意見を聴く者も無く、

恒思援各省督撫以自助。

その立場からすると、地方への巡狩は願ってもないチャンスであった。それに、長安の督撫・某は、もともと光緒帝が権限を持っていた時期に重用された人物で、勤王の意が篤いと言われておりました。

一日招某入、叩頭畢、帝甫有言。

太后適至。

西太后が偶然そこに入ってきた。

帝色変、某亦汗下流背。乃乱以他語而罷。

太后未之審也。

西太后は天然のところがありますから、本当に気付いていなかったと思います。

このころ、

帝之衣履、敝垢。一日、内侍以新制袜進呈、式劣、帝不悦。

有頃、太后至、問、袜佳耶。

帝曰然。

太后又曰、差長否。

帝曰然。

涙がにじんでまいりますね。

まだほかにも当時のエピソードが書かれているのですが、帝のお気持ちを思えば心がツラくなってきましたので、ここまでと致します。

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民国・無名氏「啁啾漫記」より。「啁」(ちゅう)も「啾」(しゅう)もすすり泣く声ですから、題名は「ぐすん・くすん、だらだら日記」みたいな意味になるかと思いますが、清末のどうしようもない政治・社会のエピソードが書かれて「清代野史叢書」の中に入っている本です。背中に汗が流れる状態、自分の過去のいろんな場面をフラッシュバック的に思い出して、ほんとに同情してしまいました。

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