即老兄是(即ち老兄これなり)(「竹窓随筆」)
がつんと言ってやれたらキモチいいだろうなあ、と思います。

ひがんで会えるかな?
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明の時代のことですが、
今生持戒修福之僧、若心地未明、願力軽微、又不求浄土。
今生、持戒修福の僧、もし心地いまだ明らかならず、願力軽微ならば、また浄土を求めざらん。
現在の生において、戒律を守り、幸福になれるよう修行している僧侶がいたとして、まだ心の覚悟が明確になっていなくて、救済されたいという願いが軽いならば、今生が終わったら阿弥陀如来の浄土に行こう!と思いきることができないであろう。
現世でうまく行った成功体験があると、浄土に行こうとしない。浄土に行かないと、また現世のどこかに戻ってきてしまいます。
是人来生多感富貴之報、亦多為富貴所迷、或至造業堕落者。
この人、来生には多く富貴の報を感じ、また多く富貴の迷わするところと為り、あるいは造業して堕落するに至る者あらん。
この人は、現世で戒律も修行もがんばっていますから、来生においてはその報いとしておそらく富貴を得ることができるでしょう。すると、たいてい富貴に迷わされてしまいます。場合によっては(富貴を元として)悪い因業を作ってしまって、仏の教えからどんどん堕落していってしまうことでしょう。
・・・と、わたしが法話を話してましたら、
有老僧、揺手不之信。
老僧有りて、手を揺らしてこれを信じず。
年老いた立派な和尚さんがいて、手を振って「そんなことはありますまい」とわたしの言うことを信用しようとしないのだ。
わたしは言った、
無論隔世。親見一僧結茅北峯之陰、十年頗著清修、一時善信敬慕。
隔世を論ずる無かれ。親しく一僧の茅を北峯の陰に結び、十年すこぶる清修に著われ、一時善信に敬慕さるを見る。
今生と来生という別の生を持ち出すまでもない。わたしは自分で、ある坊主を見てきた。その坊主、北の嶺の北側に茅の庵を結んで、十年ほどの間清潔な修行を続けて有名になり、一時期は信者たちに尊敬され慕われていたものだった。
為別刱菴、徙居之。遂致沈溺、前所微得倶喪。
ために別に菴を刱(はじ)めこれに居を徙す。遂に沈溺を致し、前に微得するところも倶に喪えり。
そこで、(信者たちが拠出して)新しい庵を建てて、そこに転居させた。ところがこの坊主、自分の名声に溺れてしまい、それまでに少しは得ていた修行の果報も、すべて失ってしまったのだ。
見世且然、況来生耶。
見世すら然り、況や来生をや。
現世にいるうちでさえ態度を変えるのだ、来世になって現世のことを忘れてしまっても、態度を変えないやつがいるものか。
論破完了! わははは。
老僧は訊いてきた、
此為誰。
これ、誰と為すか。
「それはいったい誰のことじゃ?」
わしは言ってやった
即老兄是。
即ち老兄是なり。
「おまえさんのことに決まっておるだろう!」
其人黙然。
その人、黙然たり。
その人は、黙りこくってしまった。
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明・雲棲袾宏「竹窓随筆」より。そう言われたら黙ってしまうしかないような気がします。言われる前に言うしかないのに、言われてしまうとは、ほんとに気迫の足らないじじいだぜ。
「誰のこと言ってんの?」
―――即ち老兄是なり。
とみなさんに言ってあげたいのですが、目の前にいないのが残念です。