遠之而近(これを遠くすれば近し)(「淮南子」)
中心からは、遠心力でだんだん離れていくものですよね。物体も社会関係も。

おれもだんだん離れていくんでムーン。
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戦国の時代、田鳩(でんきゅう)という人がいた。墨子の教えを奉じていたということだが、
欲見秦恵王、約車申轅、留於秦周年、不得見。
秦の恵王に見(まみ)えんと欲して、車を約(ととの)え轅(ながえ)を申(つか)ぬも、秦に留まること周年にして見ゆるを得ず。
秦の恵王(在位前337~前311)に会見して自らの考えを述べようと考え、馬車を調整し馬車の手すりを握って(呼び出しを待ち)、秦の国にまる一年以上留まっていたが、会うことができなかった。
―――秦の国で冷遇されている賢者がいるらしいですぞ。
客有言之楚王者。往見楚王、楚王甚悦之、予以節使於秦。
客のこれを楚王に言う者有り。往きて楚王に見ゆるに、楚王甚だこれを悦び、予(あた)うるに節を以てして秦に使いせしむ。
ある人が、田鳩のことを秦王のライバルである楚王に推薦してくれた。そこで、楚の国に行って楚王に面会したところ、楚王は彼を大変気に入って、節(はたじるし)を与えて秦の国に使者として派遣した。
至因見、予之将軍之節。恵王見而説之。
至りて因りて見え、これに将軍の節を予う。恵王見えてこれを説(よろこ)べり。
秦に到着して楚王の使者として秦王に面会すると、王は大変気に入ってくれて、秦の将軍のはたじるしをもらった。
出舎、喟然而歎告従者、曰、吾留秦三年、不得見。不識道之可以従楚也。
出でて舎するに、喟然(きぜん)として歎じて従者に告げて曰く、「吾秦に留まること三年なるも見ゆるを得ず。道の楚より以てすべきを識らざるなり」と。
面会を終えて宿舎に戻ったところで、「ああ」と声を出して自らの従者の童子に言った、
「わしは秦に三年間もいたのに、王に面会できなかった。その閒、実は道は楚の国を通してつながっている、ということに気づかなかったのだ」
「ほう、そうでちゅかな」
物故有近之而遠、遠之而近者。
物に、故(まこと)にこれを近くすれば遠く、これを遠くすれば近きもの有るなり。
「物事には、ほんとうに、近づくと遠くなり、遠ざけると近くなるものがあるのだなあ」
「そうでちゅなあ」
故大人之行、不掩以縄。至所極而已矣。
故に大人の行は、縄を以て掩(ただ)さず。極むるところに至るのみ。
そういうわけで、大いなる人物が行動するときは、縄を伸ばした直線の中に収めるような(一定の枠にはめる)ことをしてはならない。行きつくところへ行くつもりでやるべきなのである。
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「淮南子」道応訓より。今日のお話は少しは勉強になりましたか。ちなみに、わたしはそういうわけで遠回りして今に至っております。どこに近づこうとしていたのかも、もう忘れてしまいましたが。