9月15日 適当で中途半端?

寛厳適中(寛厳適中せよ)(「清通鑑」)

ふつうはそんなにうまくいきませんって。

適当に中途半端だと停滞する

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「硃批奏折」というものをご存じですか。みなさん知ってると思いますが、独り言のように紹介しますと、清代、各地に派遣されている官僚たちは、所管地域の事件や中央の政策の評価などを、密奏(奏状を、他の人に見られないように封じて皇帝に直接届ける)することを求められていました(「奏」)。これだけなら他の王朝も行われていたことですが、清の皇帝たちはマジメで有能なので、この奏状を自ら読み、これに皇帝自ら朱色の文字で、感想や評価、さらに指示を書き込みます。これが「硃批」。朱色の批評文。書き込んだものを皇帝はまた密封して、本人に返し、本人はこの「硃批」を写し取り、業務の参考や方針にします。「硃批」を書き写した後の奏状は、もう一度密封されて皇帝に返され(「折」)、皇帝のお手元に残されて、その後の政務の基礎情報になる。このシステムが「硃批奏折」で、チャイナの故宮なんやら館には、歴代皇帝の手元に残されていたこの奏折文が今も保管されているのでございます。
臣下にはやりがいも緊張感もありますが、皇帝の方はすごい量の文書が届けられてくるので、すごい事務量になりました。特にマジメな雍正帝などは寝る間も惜しみ、各地に出かける巡行も行わず、毎日毎日ひたすら「硃批」を書き綴っていた、と言われるほどでした。

そのような行政実務を前提にして以下をお読みください。

―――康煕四十六年(1707)十二月、朝廷において、皇帝から宰相たちに説諭があった。

漕船往来河道、運丁人等挟帯私銭私塩并装載一切貨物、遇有稽査員役、輒抗拒傷人、放火誣頼。

「なんでそんなこと知っているんですか?」

「おまえたちこそどうして知らないのだ」

「ははー」(「硃批奏折」で知っておられるんですね)

沿途商民船唯悉被欺凌、種種不法之事甚多。湖広、安慶運丁尤甚。

「ははー」

朕以南巡屡経河路、運丁凶悪知之甚詳。

すべてを取り締まると運送に影響が出てしまうので、根絶するわけにはいかないが、

今、張季友等偸装私塩被拿獲、反敢抗捕。

張季友事件は報告が上がってきているだろう?

「ははー」

裁判の結果はもう出ていたかな?

「ははー」

強横如此、倘不厳査懲処、則運丁恣意横行、必致重為民害。

「なるほど」

ところが、漕運総督の桑額は、

待運丁不厳、一味用寛、人不知畏。

「なんですと!」

「それは怪しからん!」

「弾劾、弾劾しますぞ!」

待て。桑額は使えるやつじゃ。わしは既に注意しておいた。

凡用人行政、不可偏于寛、也不可偏于厳。寛厳適中、始可謂善也。

「ははー」

みなさんも、寛厳適中でお願いします。「適」は「適当」でなくて「適正」、「中」は「中途半端」ではなくて「中庸」ですよ。

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「清通鑑」巻六十四より。これは楽ちんです。「ははー」だけで済みます。もちろん無能とか虚脱とか阿諛追従とかしていると、そのうち閑職に左遷されますから、もっと閑になります。

この年には、四明山賊の討伐も行われています。いくつかの州の境に逃げ込んだ「一念和尚」一派(幹部は偽名を使って各地に潜伏)を各州知事に個別に指示して一網打尽にし、それと前後して米の値段を下げさせて民衆が扇動に乗るのを防止するのですが、これらを「硃批」と正規の命令を織り交ぜて処理していく―――官僚操縦と民心の把握に熟練した康熙帝の手さばき、まさにアート・オブ・ポリティックスと申せましょう。

まことに
「ははー」
しか言うこと無くなってきます。

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