寛厳適中(寛厳適中せよ)(「清通鑑」)
ふつうはそんなにうまくいきませんって。

適当に中途半端だと停滞する?
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「硃批奏折」というものをご存じですか。みなさん知ってると思いますが、独り言のように紹介しますと、清代、各地に派遣されている官僚たちは、所管地域の事件や中央の政策の評価などを、密奏(奏状を、他の人に見られないように封じて皇帝に直接届ける)することを求められていました(「奏」)。これだけなら他の王朝も行われていたことですが、清の皇帝たちはマジメで有能なので、この奏状を自ら読み、これに皇帝自ら朱色の文字で、感想や評価、さらに指示を書き込みます。これが「硃批」。朱色の批評文。書き込んだものを皇帝はまた密封して、本人に返し、本人はこの「硃批」を写し取り、業務の参考や方針にします。「硃批」を書き写した後の奏状は、もう一度密封されて皇帝に返され(「折」)、皇帝のお手元に残されて、その後の政務の基礎情報になる。このシステムが「硃批奏折」で、チャイナの故宮なんやら館には、歴代皇帝の手元に残されていたこの奏折文が今も保管されているのでございます。
臣下にはやりがいも緊張感もありますが、皇帝の方はすごい量の文書が届けられてくるので、すごい事務量になりました。特にマジメな雍正帝などは寝る間も惜しみ、各地に出かける巡行も行わず、毎日毎日ひたすら「硃批」を書き綴っていた、と言われるほどでした。
そのような行政実務を前提にして以下をお読みください。
―――康煕四十六年(1707)十二月、朝廷において、皇帝から宰相たちに説諭があった。
漕船往来河道、運丁人等挟帯私銭私塩并装載一切貨物、遇有稽査員役、輒抗拒傷人、放火誣頼。
漕船河道を往来するに、運丁人ら私銭私塩を挟帯し、并せて一切貨物を装載して、稽査員役有りて遇せば、すなわち抗拒して人を傷つけ、放火して誣頼す。
運送船というのは、黄河と長江を結ぶ大運河を行き来しているが、これを動かしている運送人たちは、勝手に作った銭や横流しの塩を携さえ、そのほか(合法不法を含め)あらゆる貨物を載せて輸送している。時おり、貨物検査官が検査を強行しようとすると、拒絶、抵抗して検査官一行にけが人まで出し、その閒に積荷に火を放って証拠品を隠滅するのだ。
「なんでそんなこと知っているんですか?」
「おまえたちこそどうして知らないのだ」
「ははー」(「硃批奏折」で知っておられるんですね)
沿途商民船唯悉被欺凌、種種不法之事甚多。湖広、安慶運丁尤甚。
沿途の商民の船、ただ悉く欺凌せられるのみにして、種種の不法の事甚だ多し。湖・広、安慶の運丁尤も甚だし。
川沿いの一般商人や人民の船は、彼らにことごとくだまされたりいたぶられたりし、その閒、ずいぶん不法なことも仕出かしている。湖北・湖南や、安徽・安慶州の運送屋が特にひどいのだ。
「ははー」
朕以南巡屡経河路、運丁凶悪知之甚詳。
朕、南巡するにしばしば河路を経るを以て、運丁の凶悪、これを知ること甚だ詳らかなり。
わしは、江南地方に何度か巡行した際、しばしば大運河を使っているから、運送屋どもの凶暴な悪行を、たいへん詳しく知っておるのだ。
すべてを取り締まると運送に影響が出てしまうので、根絶するわけにはいかないが、
今、張季友等偸装私塩被拿獲、反敢抗捕。
今、張季友ら私塩を偸装して拿獲せられ、反ってあえて抗捕せらる。
最近では、張季友とその仲間たちが、横流しの塩を偽装して運んでいるところを拿捕されたが、この時、ずいぶん抵抗したのだ。
張季友事件は報告が上がってきているだろう?
「ははー」
裁判の結果はもう出ていたかな?
「ははー」
強横如此、倘不厳査懲処、則運丁恣意横行、必致重為民害。
強横かくの如き、もし厳査して懲処せずんば、すなわち運丁恣意横行して、必ず重く民害を為すを致さん。
強引で横暴なことがこれほどでは、もし厳格に検査して懲罰を処置しなければ、運送屋が好き勝手に横暴して、必ず民衆たちに大きな害を及ぼすことになるであろう。
「なるほど」
ところが、漕運総督の桑額は、
待運丁不厳、一味用寛、人不知畏。
運丁を待つこと厳ならず、一味に寛を用いて、人畏るるを知らず。
運送屋に対してあまり厳格に対処せず、寛大一辺倒の方針でやっとるから、あちらは畏怖の心が無くなっているのだ。
「なんですと!」
「それは怪しからん!」
「弾劾、弾劾しますぞ!」
待て。桑額は使えるやつじゃ。わしは既に注意しておいた。
凡用人行政、不可偏于寛、也不可偏于厳。寛厳適中、始可謂善也。
凡そ人を用いて政を行うには、寛に偏すべからず、また厳に偏すべからず。寛厳適中して、始めて善と謂うべきなり。
人を用い政事を行うには、一般論として、寛大に偏ってもいけないし、厳格に偏ってもいけない。やる気を出させつつ絞るところは絞って、寛大と厳格がうまう具合に組み合わさって、やっと「善政」といわれることができるのだ。
「ははー」
みなさんも、寛厳適中でお願いします。「適」は「適当」でなくて「適正」、「中」は「中途半端」ではなくて「中庸」ですよ。
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「清通鑑」巻六十四より。これは楽ちんです。「ははー」だけで済みます。もちろん無能とか虚脱とか阿諛追従とかしていると、そのうち閑職に左遷されますから、もっと閑になります。
この年には、四明山賊の討伐も行われています。いくつかの州の境に逃げ込んだ「一念和尚」一派(幹部は偽名を使って各地に潜伏)を各州知事に個別に指示して一網打尽にし、それと前後して米の値段を下げさせて民衆が扇動に乗るのを防止するのですが、これらを「硃批」と正規の命令を織り交ぜて処理していく―――官僚操縦と民心の把握に熟練した康熙帝の手さばき、まさにアート・オブ・ポリティックスと申せましょう。
まことに
「ははー」
しか言うこと無くなってきます。