9月10日 たくさんのこと考えられない

二責三望(二責、三望あり)(「淮南子」)

そんなに少なくていいんですか。

活かさず殺さずですか。なるほどな、くっくっく。

・・・・・・・・・・・・・・・・

むかしのことですから、現代のすぐれた世の中には当てはまらないと思いますよ。

なお、「主」は、現代のみなさんにとっては「国民により選ばれた政権」ぐらいに理解してください。

主之所求於民者二。求民為之労也。欲民為之死也。

これが二責(二つの責めること)です。

これに対し、

民之所望於主者三。饑者能食之、労者能息之、有功者能徳之。

二つとか三つとかだと数えやすくていいですが、国家の存在意義など、せんじ詰めればこれぐらいに絞られるのかも知れません。

民以償此二積、而上失其三望、国雖大人雖衆、兵猶且弱也。

若苦者必得其楽、労者必得其利、斬首之功必全、死事之事必賞。

ひとつ増えました。何が増えたのかな?

四者既信於民矣、主雖射雲中之鳥、而釣深淵之魚、弾琴瑟、声鐘竽、敦六博、投高壺、兵猶且強、令猶且行也。

こんな遊び、おもしろいんですかね。うーん。いずれにせよ、要らない仕事するよりはずっといいかも。

是故、上足仰則下可用也。徳足慕則威可立也。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「淮南子」巻十五「兵略訓」より。現代の政権は、われわれの望むところはすべて果たしてくださっててすばらしい(、と思うなら)、我らも責務を果たしましょう!

ホームへ
日録目次へ