二責三望(二責、三望あり)(「淮南子」)
そんなに少なくていいんですか。

活かさず殺さずですか。なるほどな、くっくっく。
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むかしのことですから、現代のすぐれた世の中には当てはまらないと思いますよ。
なお、「主」は、現代のみなさんにとっては「国民により選ばれた政権」ぐらいに理解してください。
主之所求於民者二。求民為之労也。欲民為之死也。
主の民に求むるところのものは二。民のこれがために労するを求むるなり。民のこれがために死するを欲するなり。
政権が人民に求めるものが二つある。
人民よ、政権のために働いてくれ。
人民よ、政権のために死んでくれ。
これが二責(二つの責めること)です。
これに対し、
民之所望於主者三。饑者能食之、労者能息之、有功者能徳之。
民の主に望むところのものは三。饑うる者はよくこれに食らわしめ、労(つか)るる者はよくこれを息(いこ)わしめ、功有る者はよくこれに徳せんことを。
人民が政権に望むものは三つある。
政権よ、飢えた者にメシを食わせてくれ。
政権よ、疲れた者を休ませてくれ。
政権よ、社会のために尽くした者に見返りをくれ。
二つとか三つとかだと数えやすくていいですが、国家の存在意義など、せんじ詰めればこれぐらいに絞られるのかも知れません。
民以償此二積、而上失其三望、国雖大人雖衆、兵猶且弱也。
民以てこの二積を償うに、しかるに上その三望を失えば、国大なりといえども人衆なりといえども、兵なおかつ弱し。
人民がこの二つの責務(「積」)を果たしているのに、政権の方が三つの望みを果たせないならば、国が大きくても人民が多くても関係無い。その国は戦争に勝てないだろう。
若苦者必得其楽、労者必得其利、斬首之功必全、死事之事必賞。
もし苦しむ者必ずその楽を得、労るる者必ずその利を得、斬首の功は必ず全く、事に死するの事必ず賞せらるとす。
仮に、苦しんでいる人は必ず楽ちんになれる、疲れている人は必ず報酬を受ける、敵を斬首した功績は必ず完全に報いられるのであれば・・・。
ひとつ増えました。何が増えたのかな?
四者既信於民矣、主雖射雲中之鳥、而釣深淵之魚、弾琴瑟、声鐘竽、敦六博、投高壺、兵猶且強、令猶且行也。
四者既に民に信ぜらるれば、主の、雲中の鳥を射、深淵の魚を釣り、琴瑟を弾じ、鐘竽を声し、六博(りくはく)を敦くし、高壺に投ぐるも、兵なおかつ強く、令なおかつ行われん。
この四つのことが約束されると人民が信用するようになれば、政権担当の方々が、雲の中の鳥を狩り立てたり、深い淵に潜む魚を釣ったり、琴やおおごとを演奏させ、鐘や竽(ふえ)を鳴らし、賭けすごろくに熱心になり、壺に矢を投げ入れる遊びを続けたとしても、軍隊は強く、命令はよく聞かれるであろう。
こんな遊び、おもしろいんですかね。うーん。いずれにせよ、要らない仕事するよりはずっといいかも。
是故、上足仰則下可用也。徳足慕則威可立也。
是の故に、上、仰ぐに足るれば下用うべきなり。徳足るれば威立つべきなり。
だからいつも言っているように、上の人たちが仰がれるようになれば、下の人たちを使うことができるようになる。国家としての徳が十分あるようになれば、国の威厳も立つようになるのである。
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「淮南子」巻十五「兵略訓」より。現代の政権は、われわれの望むところはすべて果たしてくださっててすばらしい(、と思うなら)、我らも責務を果たしましょう!